Thursday 5 February 2015

続き

すでに'Boyhood'は映画館で2回見たんですが、余韻が消える気配がありません。

アメリカの公共放送NPRで、Boyhoodを語るイーサン・ホークのインタビューを聞いたり、Youtubeでメイキングを見たりなんかして。



おまけに、サントラまで買って、毎日家で流してます。

ここでは、その中でお気に入りの曲を紹介。

まずは、ColdplayのYellow。


続いて、Paul McCartney and Wings のBand on the Run。


残念ながら、サントラには入ってないけど、Sheryle Crow の Soak Up the Sun。

                                     

最後は、Family of the YearのHero。


また映画館で見たくなってきました・・・

Saturday 17 January 2015

Boyhood


芝生に横たわった6才の少年が、空を見上げるシーンから始まる、「6才のボクが、大人になるまで('Boyhood')」

このオープニングシーンで、BGMにColdplayの初期の名作'Yellow' が流れ始めると、「いいぞ!」と映画館で一人、秘かに頷いた。



94年の「ビフォア・サンライズ」以降、多くの作品を共同で作りあげてきたリチャード・リンクレーター監督と俳優のイーサン・ホーク。

「ビフォア・サンセット」「ビフォア・ミッドナイト」と続く「ビフォア」シリーズはもちろん大好きだけれども、イーサン・ホークとロバート・ショーン・レナード(「いまを生きる」で共演!)、ユマ・サーマン(当時の妻!)の3人が繰り広げる室内劇「テープ」や、アメリカのファスト・フード業界の内幕を描いた「ファスト・フード・ネイション」なんかも捨てがたい。


今回、イーサンは離婚した父親役を演じているけれども、この映画の素晴らしさは、何といっても主役の男の子を演じた、エラー・コルトレーンの魅力につきる。

しっかり者だけれども少しヒステリックな母親と、優等生の姉、そして一緒に住むことは出来ないものの、遠くから優しく子供たちを見つめるイーサン演じる父親。

彼らに見守られながら、感受性豊かな主人公の少年(おそらく、リンクレーター監督のオルター・エゴ)は、反抗期を迎えたり、失恋を経験したりする。

髪の毛は年を経るごとに、ロン毛になったり、パンク風になったり。

いつしか、耳には大きなピアス、そして爪にはマニュキアと、「純真な男の子」から「やんちゃな若者」へと変貌していく。

けれども、それは単なる外見の変化であって、主人公の人柄の良さは、画面からヒシヒシと伝わってくるので、決して嫌な感情は喚起させない。

3時間弱という長さを感じさせない、10年に1本の傑作。

さすが、変幻自在のリチャード・リンクレーター監督。

今週、ゴールデン・グローブ賞6部門受賞というニュースも飛び込んできました!
 
http://6sainoboku.jp/

Sunday 15 September 2013

How to 'Off the Road'



ジャック・ケルアックの「路上(On the Road)」ほど、洒落た雑貨屋のオブジェとして、見かける機会の多い本は無い。

雑貨屋のディスプレイを担当する人が、その古びたペーパーバックを置く本当の理由を僕は知らないし、そもそも語る権利が無い。

というのも、原書を買ったものの、その独特の文体と文章が理解出来ず、2ページも読み終わらないうちに放り出したから。



けれども、ブラジルのウォルター・サレス監督が、'On the Road'を撮ると聞いて、僕の胸は騒いだ。

それは、'On the Road'という作品に、というよりも(何せ、2ページも読んでいない)、彼がまた、ロード・ムービーを撮ることへの期待感からだった。

若き日のチェ・ゲバラを描いたサレス監督の作品「モーターサイクル・ダイアリーズ」は、’ロード・ムービー’という一つのジャンルには、とても収まりきらない力があった。

それはきっと、一人のアルゼンチンの医学生が、中南米を旅する中で、貧困や社会の矛盾を目にし、大きく成長していく過程が、美しい映像と共に描かれているからではないだろうか。



'On the Road'は、ジャック・ケルアック自身が、友人などと連れ立って1940年代後半から50年代初頭にかけて、アメリカ大陸を横断した際の出来事を綴った私小説。

「ここではない、何処かへ」という欲求と、何処かにあるかもしれない「真実」を追い求める欲望。

物語は、起承転結も無く、旅道中の出来事を淡々と描く。

描かれるのは、ジャズ、セックス、マリファナ・・・

物語の半ばに差し掛かる頃、僕は気が付き始める。

「あぁ、彼らは、路上から抜け出るきっかけを探しているのだな」と。

そう、'On the Road'は、如何にして'Off the Road'するか、という物語であったのだ。




Japan Times 誌のレビューが、この映画の全てを物語っている。

'Nothing happens in 'On the Road' but everything'

そう、この映画には、全てが詰まっている。

http://www.ontheroad-movie.jp/

Sunday 21 October 2012

ann sally

アメリカの巨匠建築家であるフランク・ロイド・ライトが設計したことで知られる、東京目白にたたずむ自由学園明日館。

本館の向かいに建つ講堂は、「ライトの弟子」であった遠藤新による設計だけれども、師匠の影響を強く感じさせる建物で、本館に劣らない赴きがある。

その、自由学園明日館講堂で行われたアン・サリーのライブに行ってきた。

医師・歌手・2児の母という、3つのわらじを履く彼女。

学生時代から聞き始めたので、長いことファンであったけれども、ライブは今回が初めて。

定員が200人ということもあって、アットホームな雰囲気に包まれた素敵なライブであった。

胸にぐっと来たのは、阪神大震災の被災者に想いを寄せて作られた曲「満月の夕」のカバー。

歌の持つパワーに圧倒された。

 

Saturday 25 August 2012

イシヅカ・ケイジ



もう10年以上前のことになるが、毎週のように東京スタジアム(現:味の素スタジアム)に通い詰めていた時期がある。

実家から自転車で20分くらいのところにスタジアムが建設された喜びが大きかったのだろうけれども、いまから考えると、かなり暇だったのだと思う。

当時、FC東京と、ホームタウンを川崎から東京に移転したばかりの東京ヴェルディは共にJ1に所属しており、週代わりでJ1のホームゲームが開催されていた。

地元商店会や住民への地道な営業活動の甲斐あって、J2から昇格したばかりのFC東京は確実にファン層が拡大していた。

一方の東京ヴェルディは、親会社が読売新聞から日本テレビへ移管されるなど「内紛」続きで、営業活動が全くもって上手くいっていないことは、スタジアムの入場者数の差によって如実に表されていた。

しかし、昔からあまのじゃくな僕は、毎試合通っているうちに、組織だった応援で盛り上がっているFC東京よりも、かつての栄光を取り戻そうと少数で必死に応援しているヴェルディのファンに、少しずつ感情移入することが多くなっていった。

当時のヴェルディで、攻撃の中心的な役割を担っていたのがイシヅカ・ケイジだった。

京都の山城高校時代から将来を嘱望されていたが、サッカーの才能以上に騒がれていたのが、その風貌であった。

高校生にもかかわらず髪の毛をドレッド・スタイルや金髪にするなど異彩を放っていたのだ。

184センチという大きな体躯にもかかわらず、左右両足のテクニックは抜群で、日本のサッカー界では明らかに「規格外」の才能であった。

しかし、その風貌、言動などから、現役時代は常に「異端児」扱いされ続けることになる。

その後、所属チームを転々とした後、2003年に引退することになる彼が、コンスタントにゲームに出続けていたのは、2000~2001年頃だけだったと思う。

サッカー界から離れた彼は、元Jリーガーの友人とファッション・ブランドを立ち上げ、ビジネスマンとして成功を遂げていた。




先日、暑さを凌ぐために入ったコンビニの雑誌コーナーで、サッカー専門誌の表紙に彼の名前が記されてることに気づいた。

「イシヅカ・ケイジ」という名前がファッション誌に載ることは多々あるが、サッカー専門誌に載ることは、ほぼ皆無だ。

引退後のセカンド・キャリアに関するインタビュー記事をどうしても読みたくなり、いまでは立ち読みすることも少なくなったその雑誌を久しぶりに購入した。

ビジネスマンとして順風満帆に見えた彼だが、驚くべきことに、この春で会社を離れ、4人の子供と妻を連れてスペインのバルセロナに移住したという。

その理由を問われると、かつての「異端児」はこう答えた。

「一番の理由は、周りと自分の一番大事なところの考え方が、根本的に違うことに気づいてもうて、そのまま続けてられないって思うてもうたからなんや。そんな状態で自分を誤魔化して、嘘ついて生きていって、息子や娘たちが大きくなった時に、「親父、お前のやってることウソやん。ダサいな~」って言われたら、親としても人間としても終わりやろ。コソコソと人の目を気にしながら生きるんじゃなく、俺は家族、友達、誰の前でも堂々と、胸張って生きたいもん。」
 
 
 

彼の本音を記したインタビューを初めて読んで、ようやく「イシヅカ・ケイジ」という人間が、少しだけ分かったような気がした。

僕がかつて憧れたサッカー選手は、僕が想像していたよりも、はるかに「まとも」な男だった。




僕が少し前まで暮らしていた家と、彼のかつての事務所が近かったことから、街中で彼を何度か見かける機会があった。

一度、横断歩道で信号を待つ彼と隣合わせになったことから、思い切って、かつてファンであったことを伝えた。

インタビュー記事の中で、ふてぶてしそうに見えて、実は「人見知りで小心者」という表現があったとおり、少し困惑した表情を見せながらも、

「ありがとうございます」

笑みを含めて、照れながら答えてくれた彼は、繊細さと力強さを兼ね備えている人間であるように思えた。


イシヅカ・ケイジ、彼のプレーは、僕の心の中にいつまでも残り続ける。

Sunday 12 August 2012

take this walts



カナダ人俳優・監督であるサラ・ポリーのインタビュー映像や記事を目にするたび、彼女の聡明さに驚かされる。

俳優としてのキャリアは4歳からで、カナダでは知らぬ者がいないほどの有名人であるが、政治や社会問題に対して積極的に発言してきたことでも知られている。

アルツハイマーを患った老女と、その夫との関係を描いた監督デビュー作「アウェイ・フロム・ハー」に引き続く、監督第二作「テイク・ディス・ワルツ」。

トロントに住む20代の女性が、5年連れ添った夫を愛しながらも、旅先で出会った男性に惹かれ、葛藤する。

「アウェイ・フロム・ハー」のカップルは70代、「テイク・ディス・ワルツ」は20代という違いはあるにせよ、「夫婦とは何か」「長年、同じ人と連れ添って生活することとは何か」というテーマは、両作品に共通している。

物語は、分かりやすいストーリーしか描けなくなっている近年のハリウッド映画とは一線を画し、ことごとく人間の「リアルさ」を描き出す。

それは、ハリウッドからの数あるオファーに背を向け、自分が納得する作品を選び続けるサラ・ポリーという人の生き方と重なる。


物語は、少なくとも僕にとっては、思いがけない展開で終わる。

ほろ苦さが残るエンディングは、他の作品では味わえない余韻の代償だ。




http://takethiswaltz.jp/

Sunday 8 July 2012

岩波×沢木




常に良質な映画をピックアップし、同じ作品を一定期間上映し続けてくれる岩波ホール。

ここ何年か、足を運ぶ機会が無かったのだけれども、どのような作品を上映しているのか、常に動向は気にかけていた。

劇場で見る映画を決める際に、監督や俳優、作風などを総合的に判断する場合が多い。

それに加えて、月に一度、沢木耕太郎氏が新聞で連載している映画評に選ばれた作品である場合、劇場に行く大きな原動力となる。


フランスのマルセイユを舞台とした人間賛歌「キリマンジャロの雪」。

不況のあおりを受け、無職となった初老の男性と、彼を支える気丈な妻との物語。

ハリウッド映画で繰り返される非日常の出来事は一切無いが、作品が持つ包容力に関しては、どこの国の映画にも負けていない。

さすが文化大国・フランス!

と思わざるをえない作品であった。

http://www.iwanami-hall.com/contents/top.html

http://www.kilimanjaronoyuki.jp/