Wednesday 30 March 2011
職人と闘将
地震が起きてから。
「何か手助けをしたい」とは思いつつも、自分の心と体のバランスをとることに精一杯だった。
それは今でも変わらない。
簡単に言うと、何も手助けをしていない。
募金をしようかと何回か思ったけれども。
そのお金が、一体どのような形で使われるか、具体的なイメージが出来なかった。
簡単に言うと、募金すらしていない。
そんな折、写真家・近藤篤さんの日記を読んだら、涙が出そうなくらい感動した。
そうか、こんなことも出来るのか。
http://atsushikondo.com/notes/2011/03/no-1-%e3%83%9f%e3%82%b3%e3%83%8e%e3%82%b9%e5%b3%b6.html
翌日。
「イパネマ海岸」と名付けられたその写真を見て、すぐに近藤さんにメールをしたところ、その翌日に返信があった。
「おめでとうございます。イパネマは、あなたのところに移籍することになりました」
と。
小笠原満男というサッカー選手のプレーを、テレビで初めて見たとき、腰が抜けるほど驚いた。
こんな物凄い才能を持った選手がいるのか、と。
僕が叶えられなかった夢は、彼に托そう。
彼と同い年の僕は勝手にそう思い、それ以来10年以上にわたって、彼のプレーを見つめ続けてきた。
若かりし頃の、彼のプレー・スタイルを一言で表すなら、「職人」だった。
チームの勝利よりも、自分の出来に対して、よりこだわりを持つ選手だったように思う。
失意のドイツ・ワールドカップの後、イタリアでの不遇の一年を経て帰国した彼のプレー・スタイルは、明らかに昔のものと変わっていた。
足技を競う職人から、気持ちを前面に出す闘将に。
その事実は、僕に小さな寂しさと大きな喜びをもたらした。
岩手県出身の彼が、自家用車で被災地に向かい、自分の言葉で窮状をメディアに訴えかけていた。
そこには、イタリアのチームから来た移籍のオファーを、チームが勝手に断ったからといって、「出られる気分ではない」と次の試合を欠場した、かつてのナイーブな男の姿は、どこにも無かった。
被災したサッカー少年が、スパイクやボールを買うお金が無い可能性もある。グラウンドが無くなって、サッカーを辞めてしまう子供もいるかもしれない。そうならないように、今後、出来る限り活動していきたい。
かつての職人は、そう語っている。
近藤さんから頂いた写真に対するドネーションは、小笠原満男が立ち上げる基金に送ろうと思う。
Sunday 13 March 2011
言葉など・・・
東京で生まれ育ち、東京のために働いている。
けれども、両親共に東北の出身で、心のどこかで、自分の故郷は東北だと、勝手に思ってきた。
逃げることの出来ない現実が、目から、耳から入ってくる。
サクライ氏が歌っているように、「言葉など、ただ虚しい」のだけれも・・・
けれども、両親共に東北の出身で、心のどこかで、自分の故郷は東北だと、勝手に思ってきた。
逃げることの出来ない現実が、目から、耳から入ってくる。
サクライ氏が歌っているように、「言葉など、ただ虚しい」のだけれも・・・
Subscribe to:
Posts (Atom)