Saturday 21 January 2012

absolute masterpiece


第二次大戦中、ドイツ軍がユダヤ人を強制収用し、多くの人が命を落とした。

しかし、ドイツ軍だけではなく、ドイツ占領下にあったフランス政府までもが、自らの手でユダヤ人を迫害していた事実は、1995年、当時のシラク大統領が明らかにするまで、公にされることはなかったという。


1942年の夏に行われた、フランス政府によるユダヤ人強制収用を描いた作品「サラの鍵」。


サラとミッシェルという幼い姉弟。

着の身着のまま、警察に連行される直前、サラはミッシェルを部屋の納戸に隠そうとする。

渋る弟に、姉はこう諭す。

「昨日と同じ、かくれんぼだから。」

納戸に鍵を掛けたサラは、両親と共に収容される。



現代のパリ。

雑誌編集者のジュリアは、フランス軍による強制収用の取材を行いつつ、夫の祖父が育ったアパートに家族で引っ越そうとしている。

しかし、祖父達がその家に暮らし始めたのは1942年の8月からであると聞き、「まさか」と思う。

「この家は、強制収監されたユダヤ人家族が住んでいたのではないか」と。

取材の傍ら、ジュリアはその家の過去をも調べ始める。

映画は、現在と1942年のフランスとを交互に描きながら、ジュリアとサラの人生が、時を越えて徐々に交錯し始める。

現代人のジュリアの視点を入れることで、単なる「戦争物」の物語となることを抑え、僕ら鑑賞者を映画に引き込ませることに成功している。


サラの人生は、哀しく、切ない。

見ていて愉快になる、そんな映画では決してない。

けれども、いくつかのシーンで、僕は心を打たれた。

収容所を脱走したサラは、近くに住む農家の老夫婦に我が子のように可愛がられて育つ。

しかし、両親と弟を亡くしたことで心に闇を抱えているサラは、ある日、老夫婦に別れも告げず家を出て行く。

「ごめんなさい。愛しています。」

という文章だけを残して。

それを黙って受け入れる老夫婦の姿が、あまりにも切ない。


テーマの深さ、物語の構成、役者の演技。

「サラの鍵」は、紛れも無い傑作であった。

http://www.sara.gaga.ne.jp/

Monday 9 January 2012

GVS


誰のアイディアなのかは分からないが、いつからか、「アーティスト」という肩書の人が増えた。

個人的には、音を作り奏でる人は「ミュージシャン」、映画を作る人は「フィルム・ディレクター」、建物を設計する人は「建築家」、というような具合に、「アーティスト」であることよりも、「職人」であることに徹するべき人が殆どではないかと思っている。

けれども、これらの職業に就いている人の中でも、ごくまれに「アーティスト」という肩書がしっくりくる人がいる。

僕の中では、ガス・ヴァン・サントがそうだ。



「ミルク」や「グッド・ウィル・ハンティング」などの大作で知られることが多いが、デッサンや作曲なども手掛ける彼の個性が最も発揮されるのは、自身が住むオレゴン州ポートランドを舞台とした小規模作品だと思う。

両親を交通事故で亡くし、絶望の境地にいる少年と、余命3ヶ月と宣告された少女との淡い恋を描いた彼の最新作「永遠の僕たち(Restless)」。

「余命〇ヶ月」という設定のドラマはありきたりだし、物語の中で、これといった大きな事件は起こらない。

けれども、秋のポートランドを舞台とした映像は、1シーンごとに絵画を見ていると思わせるほど美しい。

そして、彼の作品の代名詞となっている繊細な音楽。

そう、ガス・ヴァン・サントの映画こそ、まさしく「アート」だ。


映画は、恋人を失った少年が、彼女と過ごした美しい時間を思い出し、微笑む瞬間で終わる。

エンディングの瞬間、僕の目から不意に流れた涙の理由は、「物語」ではなく、その「美しさ」によるものだ。

http://www.eien-bokutachi.jp/site/

Tuesday 3 January 2012

寛容



カナダという国の一番の美徳は、「違い」に対して寛容であることだと思う。

カナダのフランス語圏・ケベック州を舞台とした映画「灼熱の魂」を見ながら、そんなことを改めて思った。



中東からの移民である母が亡くなり、双子の娘と息子に遺書が遺される。

中には、「会ったことのない父と兄に、手紙を渡しなさい」と記されており、娘と息子は母の祖国を初めて訪れる。

子供達は旅を通して、母が決して語ろうとしなかった過去を少しずつ知るようになる。

それは、内戦が日常化した母の祖国における、あまりにも哀しい現実であり・・・

全編を通してエネルギーが溢れている本作は、アカデミー賞の外国語部門にノミネートされた他、カナダ国内の映画賞を総なめにしたという。



「戯曲」を基にした「映画」である以上、本作のようにドラマティックな過去を持つカナダ人移民は、そう多くないはずだ。

けれども、多かれ少なかれ、痛みを抱えて祖国を離れた彼らを受け入れてきたカナダという国の寛容性は、一体どこから産まれるのか。

僕は思いを巡らせずにはいられない。

そして、カナダと対照的に「違い」に対してあまりに不寛容な僕らは、一体何を恐れているのだろうか。

http://shakunetsu-movie.com/pc/

Monday 2 January 2012

イノウエ君



小学生の頃に属していたサッカー少年団に、イノウエ君というチームメイトがいた。

3兄弟の末っ子である彼は、兄から譲り受けたという洋服なんかを、小学生ながらにいつもオシャレに着こなしていた。

そのイノウエ君がある日、「兄ちゃんから貰った」というナイキ社製のサッカー・スパイクを持って現れた。

今でこそ、サッカー界のスーパースターの大半がナイキ社と契約しているが、そもそもナイキ社がサッカー業界に本腰を入れたのは90年代半ば以降。

「アディダスとプーマは憧れのブランドだけれども、現実的に買えるのはアシックス、ミズノ、ヤスダ」

そんな時代に、イノウエ君はナイキ社製のスパイクを持ってきたのだ。

イノウエ君が履くそのスパイクは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でマイケル・J・フォックスが履いているナイキ社製スニーカーの如く、僕の目には光輝いて見えた。



元旦に実家へ帰り、新聞を読んでいたら、面白い記事を見つけた。

2011年に話題となった「ウォール街占拠」

社会格差の拡大や、あまりにも大きくなりすぎた金融業界への反発などから発したこの運動を提案した、カナダ人のカレ・ラースンという人のインタビュー記事であった。

彼は、Adbuster(Ad=広告、Buster=退治する人)という、メディアにおける広告活動を批判する雑誌の編集者であり、「ウォール街占拠」以外にも、「Buy Nothing Christmas(クリスマス商戦に乗っかるな)」などのキャンペーンを展開している。

今に始まったことではないが、ナイキやギャップなどの大企業は、物品の生産を海外に移している。

そのこと自体は悪ではないが、多くの企業は何次にも及ぶ下請け企業に生産を丸投げし、生産者を搾取している。

しかし、現在のメディアはこのような大企業のスポンサー料で賄われており、労働搾取の問題なんかを批判することは、あまりない。

これって、何かに似てないですか?

そう、東京電力がメディアとタグを組み、「原子力は必要」という「洗脳」を僕らにしてきたことと一緒。



カナダの公共放送CBCはNHKとは異なり、番組の間にコマーシャルを流している。

Adbusterは、近年大規模な石油開発を続けているカナダの政策を批判するCMを作り、CBCに放送を依頼したところ、断られたという。スポンサー料を支払うにもかかわらず。



僕はまだ、Adbusterに対する確固とした意見を持ち合わせていない。

今後、雑誌を読んでみるなりして、彼らの行動を吟味してみたい。



イノウエ君のナイキ社製スパイクに対して抱いた羨望のような感情。

それが、本当に人の心を豊かにするのだろうか・・・

http://www.adbusters.org/