Tuesday 30 August 2011

drive



バンクーバーの街中では、本当に日本車が多い。

ひょっとしたら、日本の高級住宅地における国産車の割合よりも多いくらいかもしれない。

日本との違いは、まずマツダの人気が高いこと、ホンダの高級ラインであるアキュラが走っていること、それと当然の事だけれども全て左ハンドルであること。


仕事ではよく運転をするのだけれども、プライベートではとんと興味が無い。

だからか、今回のソルト・スプリング島での運転が、海外での初体験となった。

普段の癖で逆車線を走ってしまい慌てて戻ったり、ウィンカーを出すつもりがワイパーが動きだしたりはしたけれども、島には一つも信号が無いほどだし、慣れてくるに従って、徐々に運転が楽しくなっていった。

チーズ工房やカフェなんかを回った後、お昼は高台にあるパン工房でブルーベリーパイを。

「これでもか」という位のブルーベリーが上に載っていて、大満足。



窓を開けて、何気なくチューニングしたラジオから、良い感じの音楽が流れてくる。

Neil Young, Ron Sexsmith, Metric, Feist....

心なし、いや、明らかにカナダ人ミュージシャンの割合は高かった。

カナダの大自然に囲まれながら聞くFeistは、気持ちよかったなぁ。

Monday 29 August 2011

tree house


ソルト・スプリング島は、バンクーバーからフェリーで1時間半ほどのところにある。

今ではすっかり観光地されてしまったけれども、その昔、都市生活を否定するヒッピーやアーティストが多く集まり、島は独自の文化を形成したよう。

島には公共交通機関がほとんど無く、車を運転するか、ヒッチ・ハイクを行うのが一般的だとか。

さすがにヒッチ・ハイクをする気は無かったので、島で車を借りることにした。


レンタカー屋さんのおじさんは、マイケル・J・フォックスがそのまま50歳くらいになっちゃったような(まぁ、マイケル自身も既に50歳くらいだけど)ルックスだった。

彼にお勧めのレストランを聞いたら、

「Tree Houseがいいよ」とのこと。

早速、フォードに乗り込んで、Tree House という名のカフェへ向かうことに。


カフェの真ん中に大きな木が生えている、その名の通りのTree Houseに入ると、カナダの至宝Neil Youngの曲が流れていた。

名物のハンバーガーは、中身のお肉だけでなく、パンまでもが本当に美味しかった。

うん、ソルト・スプリングでの旅も、悪くなさそうだ。

http://www.treehousecafe.ca/

Sunday 28 August 2011

David Beckham



バンクーバーのプロ・スポーツと言えば、アイス・ホッケー(カナックス)とカナディアン・フットボール(ライオンズ)であった。

北米有数の大都市でありながら、プロ・スポーツのチームが少ない理由の一つに、「スポーツは観るものではなく、するもの」という意識があるとか。

そんな街にホワイト・キャップスというサッカーのチームができ、今年から北米のメジャー・リーグ・サッカー(MLS)に加入した。

MLSと聞いて、サッカーファンの誰しもが思い浮かべるのが、デビット・ベッカム。

そのベッカムが所属するロサンジェルス・ギャラクシーが、滞在中にバンクーバーで試合をする。

そんな情報を知ってしまったら、どうやってチケットを買わずにいられますか?



という訳で、試合の一月ほど前にはチケットを購入し、意気揚々とバンクーバーに向かった。

メディアを通じて入ってくる彼の生活はセレブリティそのものだけれども、こと本業に関しては、真剣なトレーニングと体のケアを入念に行う、正真正銘のプロだと言われている。

この夏で36歳になる彼が、全盛期のキレはないにせよ、トップ・レベルのプレーヤーであり続けられる所以である。



ところが、試合の数日前に読んだ新聞に「ベッカムはバンクーバーに来ない」とある。

なんでも、前節のゲームでイエロー・カードを貰い、累積枚数によって次のゲームが出場停止になったとか。

イエロー・カードを試合終了直前に貰ったことなどから、カナダのメディアは「ベッカムはカナダに来たくないから、故意にイエロー・カードを貰ったのではないか」などと真剣に議論していた。

そんな議論まで巻き起こしてしまうベッカムは、やはり本当のスターである。



肝心の試合のレベルは、Jリーグと比べても劣っているのが一目瞭然であった。

ベッカムが、MLSのオフ・シーズン(冬)に、「ヨーロッパのクラブにローンで出してくれ」と毎年駄々をこねている理由も分かる気がする。




ところで、ホワイト・キャップスのジャージーはとにかく格好いい。

おまけに、左袖にはカナダ国旗。

試合当日は朝からジャージーを着た人々が街をうろついたりしており、バンクーバーにもサッカー文化が根付きつつあることを認識した。

スタジアムでも多くの人が着ており、僕の購買欲は頂点に。

だが、そのジャージーは1枚120ドルほど。

「どうするかなぁ」

ハーフタイム、真剣に悩みながらスタジアムの外を歩いていたら、マジックでジャージーそっくりに書いたTシャツを着た兄ちゃんがいた。

胸には手書きのアディダスのマーク、スポンサーのBell(カナダの通信会社)まで記してあった。

「ははは、それクールだね」

と声をかけたら、彼もまんざらでもなさそうだった。

彼が着ていた、恐らく10ドル程度のジャージーが、他の人が着ている、どのオーセンティック・ジャージーよりも格好良かった。

そのクールなTシャツを見たら、120ドルのジャージーは、どうでもよくなっていた。

Saturday 27 August 2011

oh my canada


5年振りに帰ったカナダは、やっぱり人が温かかった。

夏休みを取って訪れたのは、西海岸のバンクーバーとソルト・スプリング島。

少し前のことだけれども、旅の記憶として、その期間の日記を記せたらと思う。


成田からバンクーバーへの直行便が既に売り切れだったことから、内陸のカルガリーを経由するルートのチケットを買った。

カルガリーでの乗り継ぎ時間は1時間半ほど。

しかし、カルガリー空港で待てども待てども荷物が来ない。

バンクーバーへ向かう便の搭乗に間に合わないのではないか。
まさかのカルガリー1泊も頭をよぎった。

結局、予定の便には間に合わずも、カルガリー⇔バンクーバーは1時間に1本ほど運行しているらしく、次の便に乗れることとなった。

が、荷物は遂に現れず。

バンクーバー空港で、ナショナル・エアライン(まぁ、簡単に言うとエア・カナダ)の職員に苦情を言うも、同情のかけらも示さない。

「こんなサービスだから、何回も潰れんだよ(エア・カナダのこと)」などと空港でプリプリしながらも、取りあえずバンクーバーに無事到着。

旅行期間中、荷物が全く無い最悪の事態も想定したけれども、その日の夜中、泊まっていたB & Bのドアがノックされ、荷物が届く。

「旅行期間中の悪運を使い切った」と考えることにした(そして実際、これ以外に嫌なことなんて、何一つ起きなかった)。

日本に帰国後、エア・カナダに苦情を入れると、丁重な対応。

うむ、この姿勢をカナダの空港でも見たいぜよ。

Thursday 25 August 2011

will

Jack Laytonというカナダの政治家が、癌のために亡くなった。

その記事を新聞で読むまで、彼のことを知らなかった。

ひょっとして名前くらいは聞いたことがあったかもしれないが、少なくとも、記憶の中には無かった。

カナダの最大野党を率いていた彼は、国民の誰からも愛された。
たとえ彼の政治思想に共感が出来ない人でも、その人柄には誰しもが好意を抱いた。

記事には、そう書いてあった。



死を覚悟した彼が、カナダ国民に向けて記した遺書を読んだら、何だか心の奥底がうずいた。

日本では、そこかしこで「感動した」という言葉が使われるが、英語では普段、'moved'よりも軽めの'touched'がよく使われる。

けれども、この遺書は僕の心を'moved'させた。

特に、カナダの若者に宛てた段落は素晴らしかった。

I believe in you.
Your energy, your vision, your passion for justice are exactly what this country needs today.
You need to be at the heart of our economy, our political life, and our plans for the present and the future.

僕は君達を信じている。
君達のエネルギー、ビジョン、正義への情熱は今日、まさしくこの国が必要としているものだ。
君達はこの国の経済、政治、そして現在と未来にわたる私達のプランの中核である必要がある。



そして、遺書はこう締めくくられる。


My friends, love is better than anger.
Hope is better than fear.
Optimism is better than despair.
So let us be loving, hopeful and optimistic.
And we’ll change the world

親愛なる友よ、愛は怒りよりも素晴らしい。
希望は怖れよりも素晴らしい。
楽観主義は絶望よりも素晴らしい。
だから、愛情を持って、希望を持って、楽観的になろうじゃないか。
そうすれば、僕らは世界を変えられる。



http://www.cbc.ca/news/politics/story/2011/08/22/pol-layton-last-letter.html

Saturday 20 August 2011

without Noel

ほとんどの曲を書いてきたNoelが脱退し、oasisは無くなった。

彼を除くメンバーで形成されたBeady Eye。

oasis時代よりも更にクラシックなロックの追求。

そして、John Lennonへの強烈な愛。

デビュー・アルバムを買ってはみたが、少し単調に思えてほとんど聞いていなかった。

けれども、こんなにクールな曲がアルバムの最後の方に隠されているとは。

I love Liam!



Saturday 6 August 2011

マツ

マツダ・ナオキが倒れた。

その一報を知ったのは、夏季休暇で訪れていた海外のB & B で、パソコンを開いたときであった。



高さ、速さ、強さ、そして判断能力。

ディフェンダーとしての能力を全て持ち合わせていた彼は、日本サッカー史上に残る好選手であった。

彼は日本のパオロ・マルディーニであった。

加えて彼には、恵まれた容姿と明るいキャラクターという天性のギフトが備わっていた。



スタジアムやテレビを通して、彼のプレーは数多く見てきたけれども、一番印象に残っているのは、2001年にパリで行われたフランス代表との親善試合である。

雨が降りしきるサンドニ・スタジアムで、当時の世界チャンピオン・フランスに日本は0-5と大敗した。

日本代表メンバーの中で、フランス代表と互角に戦っていたのは、当時イタリアで活躍していたナカタだけであった。

砂質土が多い日本とは異なり、ヨーロッパの地盤の多くは粘性土であり、幼い頃よりそのような環境でプレーをしているヨーロッパの選手と比べると、日本の選手は足腰の筋肉が弱いとされている。

当日の大雨で、まるで田んぼのように泥まみれのスタジアムで、マツダ・ナオキはジダンやアンリといった世界最高峰のプレーヤーに、面白いようにクルクルと振り回されていた。

あのマツダでも、ここまでやられるのか・・・

その光景は、僕には衝撃であった。



もう、マツダ・ナオキのプレーを見ることは出来ない。

けれども、僕の心の中には、マリノスのサポーター達が彼を鼓舞する歌声が、これからもきっと流れ続ける。

「ナ~オ~キ、ナ~オ~キ」

と。