Sunday 21 October 2012

ann sally

アメリカの巨匠建築家であるフランク・ロイド・ライトが設計したことで知られる、東京目白にたたずむ自由学園明日館。

本館の向かいに建つ講堂は、「ライトの弟子」であった遠藤新による設計だけれども、師匠の影響を強く感じさせる建物で、本館に劣らない赴きがある。

その、自由学園明日館講堂で行われたアン・サリーのライブに行ってきた。

医師・歌手・2児の母という、3つのわらじを履く彼女。

学生時代から聞き始めたので、長いことファンであったけれども、ライブは今回が初めて。

定員が200人ということもあって、アットホームな雰囲気に包まれた素敵なライブであった。

胸にぐっと来たのは、阪神大震災の被災者に想いを寄せて作られた曲「満月の夕」のカバー。

歌の持つパワーに圧倒された。

 

Saturday 25 August 2012

イシヅカ・ケイジ



もう10年以上前のことになるが、毎週のように東京スタジアム(現:味の素スタジアム)に通い詰めていた時期がある。

実家から自転車で20分くらいのところにスタジアムが建設された喜びが大きかったのだろうけれども、いまから考えると、かなり暇だったのだと思う。

当時、FC東京と、ホームタウンを川崎から東京に移転したばかりの東京ヴェルディは共にJ1に所属しており、週代わりでJ1のホームゲームが開催されていた。

地元商店会や住民への地道な営業活動の甲斐あって、J2から昇格したばかりのFC東京は確実にファン層が拡大していた。

一方の東京ヴェルディは、親会社が読売新聞から日本テレビへ移管されるなど「内紛」続きで、営業活動が全くもって上手くいっていないことは、スタジアムの入場者数の差によって如実に表されていた。

しかし、昔からあまのじゃくな僕は、毎試合通っているうちに、組織だった応援で盛り上がっているFC東京よりも、かつての栄光を取り戻そうと少数で必死に応援しているヴェルディのファンに、少しずつ感情移入することが多くなっていった。

当時のヴェルディで、攻撃の中心的な役割を担っていたのがイシヅカ・ケイジだった。

京都の山城高校時代から将来を嘱望されていたが、サッカーの才能以上に騒がれていたのが、その風貌であった。

高校生にもかかわらず髪の毛をドレッド・スタイルや金髪にするなど異彩を放っていたのだ。

184センチという大きな体躯にもかかわらず、左右両足のテクニックは抜群で、日本のサッカー界では明らかに「規格外」の才能であった。

しかし、その風貌、言動などから、現役時代は常に「異端児」扱いされ続けることになる。

その後、所属チームを転々とした後、2003年に引退することになる彼が、コンスタントにゲームに出続けていたのは、2000~2001年頃だけだったと思う。

サッカー界から離れた彼は、元Jリーガーの友人とファッション・ブランドを立ち上げ、ビジネスマンとして成功を遂げていた。




先日、暑さを凌ぐために入ったコンビニの雑誌コーナーで、サッカー専門誌の表紙に彼の名前が記されてることに気づいた。

「イシヅカ・ケイジ」という名前がファッション誌に載ることは多々あるが、サッカー専門誌に載ることは、ほぼ皆無だ。

引退後のセカンド・キャリアに関するインタビュー記事をどうしても読みたくなり、いまでは立ち読みすることも少なくなったその雑誌を久しぶりに購入した。

ビジネスマンとして順風満帆に見えた彼だが、驚くべきことに、この春で会社を離れ、4人の子供と妻を連れてスペインのバルセロナに移住したという。

その理由を問われると、かつての「異端児」はこう答えた。

「一番の理由は、周りと自分の一番大事なところの考え方が、根本的に違うことに気づいてもうて、そのまま続けてられないって思うてもうたからなんや。そんな状態で自分を誤魔化して、嘘ついて生きていって、息子や娘たちが大きくなった時に、「親父、お前のやってることウソやん。ダサいな~」って言われたら、親としても人間としても終わりやろ。コソコソと人の目を気にしながら生きるんじゃなく、俺は家族、友達、誰の前でも堂々と、胸張って生きたいもん。」
 
 
 

彼の本音を記したインタビューを初めて読んで、ようやく「イシヅカ・ケイジ」という人間が、少しだけ分かったような気がした。

僕がかつて憧れたサッカー選手は、僕が想像していたよりも、はるかに「まとも」な男だった。




僕が少し前まで暮らしていた家と、彼のかつての事務所が近かったことから、街中で彼を何度か見かける機会があった。

一度、横断歩道で信号を待つ彼と隣合わせになったことから、思い切って、かつてファンであったことを伝えた。

インタビュー記事の中で、ふてぶてしそうに見えて、実は「人見知りで小心者」という表現があったとおり、少し困惑した表情を見せながらも、

「ありがとうございます」

笑みを含めて、照れながら答えてくれた彼は、繊細さと力強さを兼ね備えている人間であるように思えた。


イシヅカ・ケイジ、彼のプレーは、僕の心の中にいつまでも残り続ける。

Sunday 12 August 2012

take this walts



カナダ人俳優・監督であるサラ・ポリーのインタビュー映像や記事を目にするたび、彼女の聡明さに驚かされる。

俳優としてのキャリアは4歳からで、カナダでは知らぬ者がいないほどの有名人であるが、政治や社会問題に対して積極的に発言してきたことでも知られている。

アルツハイマーを患った老女と、その夫との関係を描いた監督デビュー作「アウェイ・フロム・ハー」に引き続く、監督第二作「テイク・ディス・ワルツ」。

トロントに住む20代の女性が、5年連れ添った夫を愛しながらも、旅先で出会った男性に惹かれ、葛藤する。

「アウェイ・フロム・ハー」のカップルは70代、「テイク・ディス・ワルツ」は20代という違いはあるにせよ、「夫婦とは何か」「長年、同じ人と連れ添って生活することとは何か」というテーマは、両作品に共通している。

物語は、分かりやすいストーリーしか描けなくなっている近年のハリウッド映画とは一線を画し、ことごとく人間の「リアルさ」を描き出す。

それは、ハリウッドからの数あるオファーに背を向け、自分が納得する作品を選び続けるサラ・ポリーという人の生き方と重なる。


物語は、少なくとも僕にとっては、思いがけない展開で終わる。

ほろ苦さが残るエンディングは、他の作品では味わえない余韻の代償だ。




http://takethiswaltz.jp/

Sunday 8 July 2012

岩波×沢木




常に良質な映画をピックアップし、同じ作品を一定期間上映し続けてくれる岩波ホール。

ここ何年か、足を運ぶ機会が無かったのだけれども、どのような作品を上映しているのか、常に動向は気にかけていた。

劇場で見る映画を決める際に、監督や俳優、作風などを総合的に判断する場合が多い。

それに加えて、月に一度、沢木耕太郎氏が新聞で連載している映画評に選ばれた作品である場合、劇場に行く大きな原動力となる。


フランスのマルセイユを舞台とした人間賛歌「キリマンジャロの雪」。

不況のあおりを受け、無職となった初老の男性と、彼を支える気丈な妻との物語。

ハリウッド映画で繰り返される非日常の出来事は一切無いが、作品が持つ包容力に関しては、どこの国の映画にも負けていない。

さすが文化大国・フランス!

と思わざるをえない作品であった。

http://www.iwanami-hall.com/contents/top.html

http://www.kilimanjaronoyuki.jp/

Thursday 5 July 2012

ノラちゃん

別に、改まって公表するようなことでもないのだが、Norah Jonesが割と好きで、新作が出るたびに買ってしまう。

デビュー当時のメローなアルバムを好む人が多いようだけれども、周囲に期待されている売れる作品を作ることよりも、自分の好きな道を歩み始めている最近の作品の方が、よっぽど人間味があるように思う。

ゲスト参加した作品を集めた'Featuring Norah Jones'なんてアルバムを出してしまうくらい、引っ張りだこの彼女。

さすがに、彼女の動向を全てチェックするほどの熱烈なファンではないため、スターバックスで流れている彼女の歌声に気が付きはしたが、曲名までは分からなかった。

Romeという名のバンドが昨年出したアルバムに収録されている、というのを知ったのは、家に帰ってネットで検索したから。

こんなクールなNorah Jonesも、いいよね。

Saturday 23 June 2012

新書

住み慣れた土地以外の場所を訪れると、その地域における水環境が少なからず気になる。

水源は河川なのか、もしくは地下水なのか。下水道は整備されているのか。農業用水として、どのような水を使用しているのか。などなど。

それは、職業病と呼べなくもないのだろうけれども、こういった感覚の多くは、学生時代に培ったものだと思う。



インドで滞在していた村では、地下水を生活用水として利用していた。けれども、現地の新聞には毎日のように、インド国内における深刻な干ばつを伝える記事が掲載されていた。

河川水よりも浄化されているイメージを持つ人が多い地下水だけれども、地表に降った雨が土中を浸透し、被圧地下水(ポンプアップ出来る地下水)となるまでは、多くの時間がかかる。

当然のことながら、水の供給(涵養)よりも揚水が多ければ、地下水位は低下する。

インドなどのアジア諸国を中心に行われている、地下水の過剰な揚水による農業。

そして、それらの農作物を大量に輸入して生活している日本。



大学時代の恩師が、地下水に関する書籍を出されました。

環境や、水問題に少しでも関心がある方は、是非お読み下さい!

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1206/sin_k657.html

Tuesday 19 June 2012

geothermal energy

インドで出会ったオーストラリア人のAndrewと話をしていたら、突然彼が

「David Suzukiを知っているか?」

と尋ねてきた。

「ちょうど先月、彼の自伝を読んでたんだよ。けど、大半の日本人は、彼のことを知らないと思うよ。」


僕がDavid Suzukiという、日系カナダ人の環境活動家のことを知ったのは、バンクーバーに留学していた頃だと思う。

彼はカナダの公共放送CBCで'The Nature of Things'という名の環境保護番組のホストを長く勤めたことで、カナダでは知らない人がいないほどの著名人。

「歴代の偉大なるカナダ人」で堂々5位にランクインしたほどだ。

自伝には、彼がカナダと同様に、オーストラリアの自然に魅了されたこと、オーストラリアの自然保護運動にも関わったことが記されていたので、Andrewが彼の名前を突然出したことに違和感は無かった。


先日、ネット・サーフィンをしていたら、彼が出演したCBCのトーク番組を見つけた。

祖父母の祖国における原子力の話に話題が上ると、彼はユーモア交じりにこう答えた。

「日本が何故、あの複雑極まりない原子力を使うのか。それはお湯を沸かすためだ。けど、考えてみなよ。日本の地下には何万もの温泉があって、毎日お湯が沸いているんだ!」



Saturday 9 June 2012

living in the moment

'I'm yours'のお陰ですっかり有名になったカリフォルニアのシンガー・ソング・ライター、Jason Mraz。

待ちに待った新作、'Love Is a Four Letter Word'は、前作同様に軽快な乗り。

  人生は短い

  物事を複雑にする時間なんて無いんだ

  僕は君のもの

と謳った'I'm yours'と同様、'Living in The Moment'では、「いまを生きようよ」と語りかける。

  いまを生きようよ

  人生を気楽に、陽気に過ごそうよ

  穏やかな気持ちで

そう、いまを生きよう。






Saturday 3 March 2012

potential



あけましておめでとうございます。

我々、サッカーファンにとって、Jリーグ開幕こそが真の年明け。

来週からの開幕を控え、前年のJリーグ覇者・柏レイソルと天皇杯覇者のFC東京とが戦ったゼロックス・スーパーカップ。

当日会場に集まった多くのファンとは異なり、千駄ヶ谷にある英会話学校でのレッスンを終え、「まぁついでに」程度の気分で当日券を買った。



試合序盤、新監督ポポビッチを迎えたFC東京は、面白いようにパスを小刻みにつなぎ、魅力的なサッカーを展開する。

そんな流れを、文字通り一蹴したのが柏のブラジル人・ワグネル。

防戦一方だった柏にとっての初シュートが、彼の左足から放たれた強烈なロング・シュート。

前半26分の先制弾が、この試合を決定付けたと言っても過言ではなかった。

あれほどまでにテンポが良かったFC東京のリズムは、それ以降、最期まで戻らなかった。


結果だけ見れば、日本人を中心とした魅力的なサッカーを展開したFC東京が、ブラジル人の個の力を中心とした柏に惜敗した形になる。

しかし、FC東京のサッカーには未来の可能性を感じさせた。

数多くのチャンスを作りながらも、ゴールを決められない悪癖は、FC東京だけでなく、日本サッカー界全体の課題。

願わくば、FC東京のフロントが、仮に芳しい結果がすぐに出なくとも、長い目でポポビッチ体制を支援してくれたら、と思わずにはいられないゲームであった。

Sunday 26 February 2012

Alaska

まだ学生だった20歳前後の頃、雑誌「SWITCH」を通して、写真家・星野道夫氏のことを知った。

アラスカの自然と原住民に強く惹かれた彼は、大学を卒業後、アラスカに移住し写真家になる。

残念ながら、僕が彼を知る数年前、彼はアラスカの荒野で熊に襲われ亡くなっていた。

大自然を写した写真以上に、僕が惹かれたのは彼の文章だった。

そして、彼が残した文章の多くを、アラスカ原住民に関する物語が占めていた。



生前、星野氏と親交が深かったアラスカ先住民・クリンギット族の語り部であるボブ・サム氏のイベント「beyond the stories」が、「SWITCH」が運営するカフェ・「Rainy Day Bookstore & Cafe」で行われた。

写真家・赤坂友昭氏によるアラスカ、カナダそして東北における写真のスライド・ショー、女優・鶴田真由氏によるボブ・サム作、谷川俊太郎訳の「かぜがおうちをみつけるまで」の朗読、そしてボブ自身による2つの物語の朗読で構成されたイベント。

赤坂氏の繊細な写真、鶴田氏の抑揚の利いた朗読共に良かったが、やはりボブが英語で語りかけるパートが、強く心に響いた。ボブは、近くに座っていた僕の目を度々見つめながら物語を進めた。



イベントの終わりに、ボブに質問を投げ掛けた。

「あなたが、これらの物語を作る上でインスパイアーさせる物は何ですか」と。

「僕の物語の多くは、先祖達が伝えてくれたものだ。日本にも、素晴らしい文化・食べ物・自然がある。どうか、それらを大事にしてください。」



「何故、アラスカやカナダを撮り続けるのですか」

イベントが終了後、赤坂さんに尋ねた。

「やっぱり、彼ら(原住民)の声を伝え続けることが役目だと思っているんで」



そう、きっと赤坂さんも、星野さんの意志を引き継いだのだろう。


http://www.michio-hoshino.com/

http://www.akasakatomoaki.net/

http://www.switch-pub.co.jp/rainyday/

Sunday 5 February 2012

Begginers




Air(エール)のプロモーション・ビデオなんかを手掛けたグラフィック・デザイナーのマイク・ミルズ。

彼の初長編作品「サムサッカー」は、高校生になっても指しゃぶり(thumsuck)することをやめられない主人公を描いた不思議な作品だった。


そのミルズ、次の作品に選んだテーマは、「父親の死」だった。

妻を亡くした75歳の父が、「実は僕はゲイなんだ」とカミング・アウト。

洋服の趣味を変え、若いボーイフレンドを作り、残された人生を謳歌し始める。

そんな父親の姿を目にし、恋に臆病だった主人公が一歩足を踏み出す。


「サムサッカー」と同様、物語の中で、これといった大きな事件は起きない。

けれども、ミルズ自身のイラストがところどころに挿入される他、映像はセンスフル。

主人公のユアン・マクレガーの演技を筆頭に、心温まる作品であった。

http://www.jinsei-beginners.com/

Saturday 21 January 2012

absolute masterpiece


第二次大戦中、ドイツ軍がユダヤ人を強制収用し、多くの人が命を落とした。

しかし、ドイツ軍だけではなく、ドイツ占領下にあったフランス政府までもが、自らの手でユダヤ人を迫害していた事実は、1995年、当時のシラク大統領が明らかにするまで、公にされることはなかったという。


1942年の夏に行われた、フランス政府によるユダヤ人強制収用を描いた作品「サラの鍵」。


サラとミッシェルという幼い姉弟。

着の身着のまま、警察に連行される直前、サラはミッシェルを部屋の納戸に隠そうとする。

渋る弟に、姉はこう諭す。

「昨日と同じ、かくれんぼだから。」

納戸に鍵を掛けたサラは、両親と共に収容される。



現代のパリ。

雑誌編集者のジュリアは、フランス軍による強制収用の取材を行いつつ、夫の祖父が育ったアパートに家族で引っ越そうとしている。

しかし、祖父達がその家に暮らし始めたのは1942年の8月からであると聞き、「まさか」と思う。

「この家は、強制収監されたユダヤ人家族が住んでいたのではないか」と。

取材の傍ら、ジュリアはその家の過去をも調べ始める。

映画は、現在と1942年のフランスとを交互に描きながら、ジュリアとサラの人生が、時を越えて徐々に交錯し始める。

現代人のジュリアの視点を入れることで、単なる「戦争物」の物語となることを抑え、僕ら鑑賞者を映画に引き込ませることに成功している。


サラの人生は、哀しく、切ない。

見ていて愉快になる、そんな映画では決してない。

けれども、いくつかのシーンで、僕は心を打たれた。

収容所を脱走したサラは、近くに住む農家の老夫婦に我が子のように可愛がられて育つ。

しかし、両親と弟を亡くしたことで心に闇を抱えているサラは、ある日、老夫婦に別れも告げず家を出て行く。

「ごめんなさい。愛しています。」

という文章だけを残して。

それを黙って受け入れる老夫婦の姿が、あまりにも切ない。


テーマの深さ、物語の構成、役者の演技。

「サラの鍵」は、紛れも無い傑作であった。

http://www.sara.gaga.ne.jp/

Monday 9 January 2012

GVS


誰のアイディアなのかは分からないが、いつからか、「アーティスト」という肩書の人が増えた。

個人的には、音を作り奏でる人は「ミュージシャン」、映画を作る人は「フィルム・ディレクター」、建物を設計する人は「建築家」、というような具合に、「アーティスト」であることよりも、「職人」であることに徹するべき人が殆どではないかと思っている。

けれども、これらの職業に就いている人の中でも、ごくまれに「アーティスト」という肩書がしっくりくる人がいる。

僕の中では、ガス・ヴァン・サントがそうだ。



「ミルク」や「グッド・ウィル・ハンティング」などの大作で知られることが多いが、デッサンや作曲なども手掛ける彼の個性が最も発揮されるのは、自身が住むオレゴン州ポートランドを舞台とした小規模作品だと思う。

両親を交通事故で亡くし、絶望の境地にいる少年と、余命3ヶ月と宣告された少女との淡い恋を描いた彼の最新作「永遠の僕たち(Restless)」。

「余命〇ヶ月」という設定のドラマはありきたりだし、物語の中で、これといった大きな事件は起こらない。

けれども、秋のポートランドを舞台とした映像は、1シーンごとに絵画を見ていると思わせるほど美しい。

そして、彼の作品の代名詞となっている繊細な音楽。

そう、ガス・ヴァン・サントの映画こそ、まさしく「アート」だ。


映画は、恋人を失った少年が、彼女と過ごした美しい時間を思い出し、微笑む瞬間で終わる。

エンディングの瞬間、僕の目から不意に流れた涙の理由は、「物語」ではなく、その「美しさ」によるものだ。

http://www.eien-bokutachi.jp/site/

Tuesday 3 January 2012

寛容



カナダという国の一番の美徳は、「違い」に対して寛容であることだと思う。

カナダのフランス語圏・ケベック州を舞台とした映画「灼熱の魂」を見ながら、そんなことを改めて思った。



中東からの移民である母が亡くなり、双子の娘と息子に遺書が遺される。

中には、「会ったことのない父と兄に、手紙を渡しなさい」と記されており、娘と息子は母の祖国を初めて訪れる。

子供達は旅を通して、母が決して語ろうとしなかった過去を少しずつ知るようになる。

それは、内戦が日常化した母の祖国における、あまりにも哀しい現実であり・・・

全編を通してエネルギーが溢れている本作は、アカデミー賞の外国語部門にノミネートされた他、カナダ国内の映画賞を総なめにしたという。



「戯曲」を基にした「映画」である以上、本作のようにドラマティックな過去を持つカナダ人移民は、そう多くないはずだ。

けれども、多かれ少なかれ、痛みを抱えて祖国を離れた彼らを受け入れてきたカナダという国の寛容性は、一体どこから産まれるのか。

僕は思いを巡らせずにはいられない。

そして、カナダと対照的に「違い」に対してあまりに不寛容な僕らは、一体何を恐れているのだろうか。

http://shakunetsu-movie.com/pc/

Monday 2 January 2012

イノウエ君



小学生の頃に属していたサッカー少年団に、イノウエ君というチームメイトがいた。

3兄弟の末っ子である彼は、兄から譲り受けたという洋服なんかを、小学生ながらにいつもオシャレに着こなしていた。

そのイノウエ君がある日、「兄ちゃんから貰った」というナイキ社製のサッカー・スパイクを持って現れた。

今でこそ、サッカー界のスーパースターの大半がナイキ社と契約しているが、そもそもナイキ社がサッカー業界に本腰を入れたのは90年代半ば以降。

「アディダスとプーマは憧れのブランドだけれども、現実的に買えるのはアシックス、ミズノ、ヤスダ」

そんな時代に、イノウエ君はナイキ社製のスパイクを持ってきたのだ。

イノウエ君が履くそのスパイクは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でマイケル・J・フォックスが履いているナイキ社製スニーカーの如く、僕の目には光輝いて見えた。



元旦に実家へ帰り、新聞を読んでいたら、面白い記事を見つけた。

2011年に話題となった「ウォール街占拠」

社会格差の拡大や、あまりにも大きくなりすぎた金融業界への反発などから発したこの運動を提案した、カナダ人のカレ・ラースンという人のインタビュー記事であった。

彼は、Adbuster(Ad=広告、Buster=退治する人)という、メディアにおける広告活動を批判する雑誌の編集者であり、「ウォール街占拠」以外にも、「Buy Nothing Christmas(クリスマス商戦に乗っかるな)」などのキャンペーンを展開している。

今に始まったことではないが、ナイキやギャップなどの大企業は、物品の生産を海外に移している。

そのこと自体は悪ではないが、多くの企業は何次にも及ぶ下請け企業に生産を丸投げし、生産者を搾取している。

しかし、現在のメディアはこのような大企業のスポンサー料で賄われており、労働搾取の問題なんかを批判することは、あまりない。

これって、何かに似てないですか?

そう、東京電力がメディアとタグを組み、「原子力は必要」という「洗脳」を僕らにしてきたことと一緒。



カナダの公共放送CBCはNHKとは異なり、番組の間にコマーシャルを流している。

Adbusterは、近年大規模な石油開発を続けているカナダの政策を批判するCMを作り、CBCに放送を依頼したところ、断られたという。スポンサー料を支払うにもかかわらず。



僕はまだ、Adbusterに対する確固とした意見を持ち合わせていない。

今後、雑誌を読んでみるなりして、彼らの行動を吟味してみたい。



イノウエ君のナイキ社製スパイクに対して抱いた羨望のような感情。

それが、本当に人の心を豊かにするのだろうか・・・

http://www.adbusters.org/