Thursday 30 December 2010

アイドル


帰り道、地元にある小さな本屋さんに立ち寄り、雑誌を眺めていた。

サッカー専門誌を手に取りパラパラめくっていたら、気になる記事があったので、買うことにした。

店を一人で切り盛りする女性がいるレジに向かい、お金を払う。

「あっ、サッカーのね。ポスターがあるんですよ。よかったら・・・」

なんて、レジ周りをごそごそ探し始めたので、

「あっ、もういい歳なんで。大丈夫です。子供にあげて下さい。」

家に帰ったら、部屋のそこら中にサッカー選手の写真が貼ってあった。

Tuesday 28 December 2010

絵本

旅の最後に、絵本のことを書いたら。

日本に帰ってから思いのほか、「何の本を買ったの?」と訊かれることが多いので。

何冊か、紹介できたらと思う。



Craig Frazierというグラフィック・デザイナーの 'Lots of Dots'。

アイディアも絵も気に入りました。

http://www.amazon.co.jp/Lots-Dots-Craig-Frazier/dp/0811877159/ref=sr_1_15?ie=UTF8&qid=1293527153&sr=8-15



同じくグラフィック界から、Bob Gill。

ほほ~ん、という感じです。

http://www.fineza.biz/SHOP/ThePresent.html



上二冊は今年出たものらしいのだけれども、こちらはクラシック。

William Wondriska の 'A Long Piece of String'

http://www.chroniclebooks.com/index/main,book-info/store,kids/products_id,8995/



因みに、バークレーの本屋でお勧めの絵本を尋ねた店員さんに、

「ところで、子供は何歳なの?」

と、至極真っ当な質問を受けたので、

「い、いや。しょ、将来と、じ、自分自身のために・・・」

と答えたら、何だか訳もなく恥ずかしかった。

Saturday 25 December 2010

旅の終わり



@ Berkeley (California)

3ヵ月続いた旅が、終わろうとしている。

振り返ってみると、観光らしい観光といえば、シンガポールでマーライオンを見たこと。シドニーのマンレーというビーチを訪れたこと。サクラメントで州庁舎を見学したこと。そしていくつかの街で美術館に行ったこと。それくらいしか思い浮かばない。

ホテル、図書館、カフェ・レストランの往復。

たまに、中古のCD屋、本屋、古着屋、映画館なんかが加わったりしたけれども。

生活は、いたって単調だった。



旅の目的の種類に、「そこに行くこと」と「そこで生活すること」の2つがあるとしたら、僕にとってこの3ヶ月は、間違いなく後者だった。



今から7年前、大学院を修了した僕は、卒業旅行として3週間ほど、フランスとスペインを放浪した。

当時、僕には人生における2つの夢があった。

それは、「パリに行く」ことと、「バルセロナでサッカーを見る」こと。

なぜ、そんな夢を抱いていたのか。明確な理由は思い出せないのだけれども。

ともかく、その「夢」を叶えるために、24歳の僕は一人、ヨーロッパに向かった



パリにいる間、観光地と呼ばれる場所は一通り訪れた。

ルーブル、オルセー、ピカソ美術館、凱旋門、エッフェル塔、オペラ座。



一週間後、パリから高速鉄道TGVの夜行列車に乗り、早朝のバルセロナに辿り着いた。

その日の夜、「カンプ・ノウ」というスタジアムに向かい、FCバルセロナの試合を観戦した。

10万人近い観客が埋め尽くしたスタジアムの中で、世界最高峰のプレーを間近で見ながら、僕は鳥肌がたっていた。そして同時に、こんなことを思っていた。

『パリに行けたうえに、いまはバルセロナでサッカーを見ている。パリに行きたくとも、一生来れない人は世の中に沢山いる。仮にいま、空から爆弾が降ってきて命を落としたとしても、「僕の24年間は幸せでした」と、思えるのではないだろうか』

と。

当然のことながら、その日、バルセロナの空から爆弾は降ってこなかった。

そして、「いま死んでもいいですか?」と問われれば、間違いなく「ノー」と答える。

けれども。

ひょっとして、あのバルセロナのスタジアムでそんなことを思っていたときが、僕にとって「そこに行くこと」を目的とする旅が終わった瞬間であったのかもしれない。



この3ヶ月、様々な人と出会い、そして別れた。

一度しか会話をしなかった人。

メール・アドレスすら交換しなかった人。

街角ですれ違うときに、挨拶をしただけの人。

そんな人たちとの出会いですら、いまの僕にとっては、大事なものだった。



7年前の旅を、いま思い出しているように。

この先、この旅を振り返って、どのような思いに浸るのかは想像が付かないけれども。

幸せな3ヶ月であったという事実は、この先も変わることはないと思う。



水曜日にあったヒアリングの後、その内容を報告書にまとめたら、何だか「やり切った感」が沸いてきた。もう、次の訪問地の準備もしなくていい。この3ヶ月で、初めての感覚だった。

木曜日。

残された1日をどう過ごそうか考えたけれども。

大学の前にある小さな本屋が、前からずっと気になっていたので、行くことにした。

店内でゆっくり本をぱらぱら眺めていたら、ふと、絵本が欲しくなった。

「東京から来たので、アメリカの絵本に関して何も知らないのだけれども、何かお勧めの本はないですか?」

店員さんにそう訊くと、彼自身のお勧めを何冊か教えてくれた。

「このお店の絵本担当は、かなり厳選しているから、ゆっくり手にとって、気に入った物を選べばいいと思うよ」

とも。

気に入った題名をメモし、日本に帰った後、アマゾンで注文する。

そんな野暮なアイディアは浮かばなかったし、値段がいくらになっても構わなかった(重量だけは気にしたけど)。

「一生、手元に残しておきたいような絵本」、と思って選んでいたら、計5冊、100ドル近くになった。

お気に入りのカフェに行き、普段は座らなかったソファーを選び、本を一冊ずつ、ゆっくり読んだ。

その午後のひと時は、この3ヶ月で一番贅沢な時間だった。




旅の間、日本の国内外を問わず、多くの人に支えられました。

どうもありがとう。

東京に、帰ります。

Friday 24 December 2010

feeling like being in Paris



@ Berkeley (California)

バークレーはヨーロッパのような雰囲気がある。

当然のことながら、北米の都市である以上、ヨーロッパと比べて深い歴史を重ねてきたわけではないのだけれど。

街の東側が丘になっていて、何となく、パリのモンマルトルの丘を思い出させる。

そして、知識階層の存在も、僕にそう思わせる理由の一つだと思う。



大学が既にクリスマス休暇に入ってしまったようで。

残念ながら、学生の数は少ないのだけれども。

それでも、街全体で「自分を向上させよう」という意識が感じられる。

そのような意識を、東京で感じることが少ないので。

その感覚は、どこか心地よい。

カフェにいる隣の若者が、教科書を熱心に読んでいるのを見たりすると、「僕も頑張らないと」と、素直に思える。



「こんな環境に身を置いて、もう一度自分を高めたい」

「人間関係ばかりに気を取られてないで、もっと自分を深めたい」

そういう気持ちが「無い」と言えば、嘘になるけれども。

きっと、自分を高めることは、どんな環境でも可能なはずで。

それは、東京にいる時も意識してきたことで。

「環境」に期待しすぎるよりも、日常で「自分のどの部分を伸ばしたいのか」を把握して、自分で出来ることに集中することの方が大事なのじゃないか。

この歳になると、そんな風に思えたりもする。

Thursday 23 December 2010

it was perfect


@ Berkeley (California)

評判が良いのは知っていたけれども。

ここまで「凄い」作品だとは、想像していなかった。


ナタリー・ポートマン主演の 'Black Swan' 。

最初にこの映画を知ったのは、新聞に掲載されたウィノナ・ライダーのインタビュー記事を読んだ時だった。

近年、良い作品に恵まれていなかった彼女だけれども、主役ではないにしろ、この映画での演技は、久しぶりに評価されているようだった。

正直に言えば、'Black Swan' を観ようと思った理由の半分くらいは、ウィノナ・ライダーだった。



ストーリーは、ナタリー・ポートマン演じるバレリーナが、主役に抜擢されたプレッシャーから、徐々に強迫観念に襲われるようになり・・・

いままで、バレエ・カンパニーを主題にしたドキュメンタリー映画は見たことがあったけれども。

「完璧主義者」のバレリーナを演じるために、極限まで痩せ細った「完璧主義者」のナタリー・ポートマンを見続けるのは、正直に言って気が滅入った。

「たかだか」映画のために、ここまでやる必要はあるのだろうか、と。



思いのほか、ウィノナ・ライダーの出番は少なかった。

ただ、思いのほか、この映画はオリジナルであった。



物語は、「完璧主義者」の主人公が、

'It was perfect.'

と言って、幕を閉じる。

映画の余韻に浸りながら外を歩いていると、この映画こそ、こう表現されるべきじゃないだろうか、と思い始めた。

It was perfect.

http://www.foxsearchlight.com/blackswan/

Wednesday 22 December 2010

REIとMEC



@ Berkeley (California)

アウトドア用品を扱うお店に行くと、無駄に長居をしてしまう。

特段、アウトドア活動を熱心に行っているわけではないのだけれども。

機能性とデザイン性とを兼ね備えた商品を眺めていると、あっという間に時間が過ぎる。



カバンに自国の国旗ワッペンを縫い付けるという「ストレンジ」な慣習をカナダ人が持っていることは、よく知られているけれども。

もう一つ、カナダ人であることを知る目安として、'Mountain Equipment CO-OP'(MEC) と呼ばれるメーカーのカバンを持っている人が非常に多い。

'CO-OP' の名の通り、営利目的ではなく、会員(つまり消費者)へ利益を還元する組織なので、自社製品が恐ろしく安い。僕が持っている25リットルのバックパックは、確か30数ドルだった。



アメリカにも、似たような組織があるとは聞いていた。

'Recreational Equipment Inc.'(REI) というその組織のロゴ・マークが、MECと随分似ていることは知っていたのだけれども。

バークレーにある店舗に足を踏み入れたら、内装までMECのバンクーバー店にそっくりで、思わず笑ってしまった。



異なる点があるとすれば、REIはMECほど安くはないこと、だろうか。

REIの値段が、より「妥当」に近いのか。はたまたMECの値段は、「企業努力」によるものなのか。真相は分からないのだけれども。

仮にREIがMECほど安ければ、カナダ人と同様、世界中においてアメリカ人の識別は容易になるはずである。



因みに、どちらがどちらを「パク」ったか、という疑問は。

店内にいる時も99%確信していましたが。

インターネットで検索したら、予想通りでした。

そりゃぁ、そうですよね。

うん。

http://www.rei.com/

http://www.mec.ca/Main/home.jsp

Tuesday 21 December 2010

りんご


@ Berkeley (California)

バークレーから電車を使ってサンフランシスコのダウンタウンに来たら、物凄い人と、クリスマス商戦真っ只中のお店の勢いに圧倒されてしまった。

クリスマス前、最後の日曜日だった、ということもあったのだろう。

20分ほど頑張ってみたけれども、どうにもこうにも我慢出来なくなり、そそくさと電車に乗り、バークレーの街まで帰ってしまった。



クリスマスなどのイベントや、テーマ・パークなんかを人々が求めてしまうのは。

きっとそれらが、退屈な「日常」を忘れさせてくれる「非日常」だからで。

毎日が「非日常」の現在の僕にとって、むしろ「日常」のほうが幸せに思えたりもする。

けれども、「日常」にいる時の僕が、イベントやテーマ・パークを求めるか、というと、そんな訳でもなく。

なんてことを考え始めたら堂々巡りになりそうだったので、そんなアイディアは忘れることにした。



クリスマス一色のサンフランシスコの街で、僕が唯一欲しいと思ったのは、ビートルズの看板だった。

アップルというレーベルに所属するリンゴさんが、アップルという会社の広告塔になっている。

以上、日本語を理解出来る人だけに通じるジョーク。

Monday 20 December 2010

bomb!


@ Berkeley (Califronia)

国立という学生街で育ったからなのか。

街の中心に大学があると、何だか落ち着く。



最後の訪問地・サンフランシスコでの宿を、どこに取ろうかしばらく考えていた。

空港に近いデイリー・シティーとサンフランシスコで打ち合わせが予定されていることと、空港へのアクセスを考えて、市内に泊まろうかと思っていたのだけれども。

デービスという学生街にいたら、随分居心地がよかったので、サンフランシスコでも、郊外のバークレーという学生街に泊まることにした。



デービスからアムトラックという電車を使い、バークレーの駅に降り立ったら、駅前に何も無かった。

改札すらなく、目の前に道路が広がっている。

駅からはタクシーを使おうと思っていたので、少し呆然とした。

近くにいた人に、ホテルの住所を伝えたところ、

「そんなに遠くないよ。歩いて10分くらいかな。」

というので、歩き始めた。

トランク1つと、巨大なバックパック2つを抱えて。

その人はきっと、その事実に気付かなかったか、もしくは、その事実を軽く見ていたのだと思う。僕と同様に。

舗装の打ち継ぎ目ごとに、僕のおんぼろトランクは引っ掛かり。

汗だくになりながら、えっちらおっちら進んでいると、優しいおじさんが声をかけてくれたりした。



デービスで唯一不満だったのが、小さい街にも関わらず、見知らぬ人とはあまり挨拶をしないことだった。きっと、若い学生が多いからだろうけれども。

バークレーは同じ学生街でも、デービスに比べて格段に大きく、年齢構成も様々なようだった。

「うん、この街はいいぞ」

汗だくになりながらも、そんなことを考えていた。



「おい!そのトランクの中に入ってるのは爆弾だろ!!」



横断歩道の向かいにいた黒人のおっちゃんに、いきなりそう叫ばれた。

一瞬驚いたのだけれども、

「へへへへ~~」

なんて満面の笑顔を浮かべて、フィスト・バンプと呼ばれる拳と拳とを合わせる挨拶を、すれ違う時に求めてきたので、仕方なく応じた。

「おっちゃん、勘弁してよ・・・」

汗だくの僕には、そう返すのが、精一杯だった。

Sunday 19 December 2010

college radio


@ Davis (California)

そのサイトにどうやって辿り着いたのかは、もう忘れてしまったのだけれども。

日本にいるとき、KCRWというアメリカのラジオを、インターネットを通してたまに聞いていた。

インディー、メジャーを問わず、よい音楽を取り上げることが多いそのラジオ局は、サンタ・モニカ・カレッジという学校が保有している。

http://www.kcrw.com/



KCRWほど有名じゃなくとも、アメリカの多くの大学は、自前のラジオ局を持っているらしい。

ところが、アメリカを覆っている近年の不況は、大学経営にも大きく影響を及ぼしているようで。

インターネットでの放送のみに切り替えたり、局を売却している大学が出てきているそう。

デービスという、大学の存在によって成り立っている街にいることもあって、その記事は印象に残った。

http://www.nytimes.com/2010/12/06/business/media/06stations.html?_r=1&scp=1&sq=college%20radio&st=cse




果たして、この大学もラジオ局を保有しているのだろうか。

少し気になって、インターネットで検索してみると、やはりあった。

この文章は、KDVSという名の、そのラジオを聞きながら書いている。

http://www.kdvs.org/




情報化の進展で、世界中で同じような音楽が流れる傾向は、きっと歯止めがきかないのだろうけれども。

巨大なメディア企業に支配されない、このようなラジオ局の存在は、きっとこれからもっと貴重になってくると思う。

Saturday 18 December 2010

炭素あり


@ Davis (California)

日本のオーガニック・スーパーは、まだまだ小規模なものが多い。

片や、デービスにおける‘Davis Food CO-OP’と呼ばれるお店は、普通のスーパーに匹敵するくらいの大きさがある。

サイズの違いもさることながら、圧倒的に違うのは、その「お洒落」さ。

別に、日本で頑張っているお店の悪口を言うつもりは、全くないのだけれども。

デービスに限らず、北米で成功しているオーガニック・スーパーは、建物や内装が小綺麗で、値段が割高でも「また来たい」と思える。

そして、一度お店に入ると、なんだか楽しくなって、つい長居してしまう。

こちらでは消費者の需要が伸びているので、有機野菜の値段は徐々に下がっていると聞く。



果たして、どこからが「有機」か。値段が下がることによって、質まで下がるのではないか。

そんな疑問や懸念はあるけれども。

「安全はお金持ちのもの」という概念が、少しでも緩和されるのであれば、それはそれでよい傾向のように思える。

日本におけるオーガニック・スーパーが小規模でお洒落でない原因は、ひとえに僕らの意識の問題。

社会は、行政ではなくて、人が動かすもの。

じゃないですか?

http://www.daviscoop.com/

Friday 17 December 2010

stuck by a rock!


@ Davis (California)

坊主頭のユアン・マクレガーが街を疾走する「トレイン・スポッティング」のオープニング・シーンは鮮烈だった。

監督のダニー・ボイルは、一躍ハリウッドから注目されて、いくつかの映画を作ったけれども、どれもパッとしなかったような気がする。

「スラムドッグ・ミリオネア」で、「ようやく」復活した彼の新作 '127 hours' を観た。

クライマーの主人公が、渓谷において巨大な岩に手を挟まれ、限られた食料・飲料の中で極限状態に陥りながらも生還しようとする。

実存するクライマーの回顧録を基にしたこの映画は、ほぼ全編にわたって、主人公が「手」を岩から抜きとるために格闘するシーンで構成される。

お世辞にも、気持ちが明るくなるような映画ではないけれども、人間が一人きりで「死」を間近にしたとき、どのような状態になるかを描いた点で、非常にユニークな作品だと感じた。

単調になりそうな内容を、スタイリッシュな映像でカバーした点は流石。

「完全復活」ですね。

http://www.foxsearchlight.com/127hours/

Thursday 16 December 2010

Oregon


@ Davis (California)

街の雰囲気や、天候なんかで、聴きたい音楽というのは微妙に変化するものだと思う。

常夏のフロリダにいたときは、ただひたすらポップな音楽が心地よかったけれども。

カリフォルニア北部のこの街に来てからは、あまりそういう音楽を聴きたいとは思わなくなった。



よく言われている話だけれども。

サンフランシスコからポートランドやシアトル、バンクーバーなんかの北米西海岸の街は雰囲気が似ているらしい。

サンフランシスコから電車で1時間強のこの街も、田舎の小さい学生街だけれども、きっとこれらの街と共有している感覚が多いのだと思う。


ダウンタウンにある、小さなCD屋さんに入って店内を眺めていたら、この街にピタリと合う音楽が掛かっていた。店員さんに訊ねて、そのCDを買った。

'Horse Feathers'というバンド名をインターネットで検索したら、ポートランド在住のインディー・バンドだった。

ポートランドという地名を目にして、何だか妙に納得。

http://www.youtube.com/watch?v=a_bAQZATCTM

Wednesday 15 December 2010

表と裏


@ Davis (California)

カリフォルニア州オレンジ郡の空港は、ジョン・ウェインという名前が付いている。

なぜ「ジョン・ウェイン」なのか。

ネットで少し調べてみたけれども、結局よく分からなかった。

よく分からなかったのだけれども、俳優の名前を空港名にしちゃうなんて、さすがアメリカ。

けれども、もし仮に30年後、どこかの街が「ブラッド・ピット空港」なんてものを命名したら、その空港を使うのは、少しばかり恥ずかしいような気がする。なんとなく。

ジョン・ウェイン空港は、名前からして荘厳なイメージがあったのだけれども、実際はこじんまりした、親しみやすい空港であった。

そのジョン・ウェイン空港で、サクラメント行きの飛行機を待っていたのだけれども、濃霧の影響で出発が遅れる、とのアナウンスがあった。

手持ち無沙汰になったので、雑誌でも買おうかと思ったのだけれども、これ以上荷物を重くしたくなかったので、新聞を手に取った。

ぱらぱらめくっていたら、面白そうな記事を見つけた。



「元NBAの選手が現在、クラブDJとして活躍中」



ロニー・サイカリーという名の彼は、子供の頃からの音楽好きが興じて、バスケットのプレーを続けながらも、趣味としてDJを始めたそう。

選手として現役を引退した後、自宅に友人などを呼んで音楽を楽しんできたのだけれども、最近になって、本格的にクラブで活動を行うようになると、たちまち人気者になり、現在は世界中を移動してCDを回している。

僕が特に興味をそそられたのは、「チームメートの多くは、彼の音楽好きを知らなかった」という箇所であった。



僕が中学生の頃。

周りでイジメや仲間外れにされている同級生たちの多くは、真面目で物静か人々だった。

けれども僕の目には、彼らの多くが、たとえ少し社交性は無かったにせよ、自分の世界を持っているように感じられた。

僕自身が彼らを、周りの人間と一緒になって本当にイジメていなかったか、と言われると正直分からない。イジメというのは、加害者が認識するものではなく、被害者が感じるものだから。

時には、「何もしない」ことですら、イジメにはなりうる。

ただ、人間関係ばかり気にして、小さくまとまっていた当時の僕には、自分の世界を持った彼らの方が、よっぽど強い人間のように思えるときがあった。



その記事を読んで、そんなことを思い出した。


最後に、彼によるジョークを。

「DJであることをエンジョイしているよ。だって、例え悪い夜があったとしても、僕の失敗がESPN(スポーツ専門チャンネル)で放映されることはないからね」

http://www.nytimes.com/2010/12/09/sports/basketball/09seikaly.html?_r=1&scp=1&sq=DJ%20NBA&st=cse

Tuesday 14 December 2010

学生街

@ Davis (California)

バンクーバーに「キツラノ」という、富裕層が多く住むエリアがある。

オーガニック・レストランやスーパー、渋い本屋などがあって居心地が良かったので、毎週末になると、足しげく通っていた。

お金持ちが多く住むから、そのような「意識の高い」お店が集まるのか。

それとも、「意識の高い」お店が沢山あるから、お金持ちが集まるのか。

恐らく、その両方なのだろうけれども。

キツラノの場合は、近くにブリティッシュ・コロンビア大学という名門校がある、ということも街の雰囲気に影響を与えていると思う。

僕が聞いた話では、60~70年代に多くいた学生ヒッピー達が、街の形成に大きな影響を与えたとか。



デービスという、カリフォルニアの小さい学生街に来たら、キツラノのことを思い出した。

自転車Loverが多いこと。アジア人の留学生が多いこと(この街に限ったことではないけれども)。気持ちの良いローカル・カフェが沢山あること。冬に雨がたくさん降ること。

共通点はたくさんあげられるけれども。

言葉では表現しにくい「雰囲気」が、似ているのかなぁと思う。



この文章は、'Mishka's Cafe'というオーガニック・カフェで書いている。

多くの学生が、ラップ・トップを広げて長居しているので、お店の経営はきっと大変だろうけれども。

こんな居心地のよいカフェが、いたるところにあるこの街で生活できる人たちは、やっぱり幸せだと思う。

http://www.mishkascafe.com/

Monday 13 December 2010

質素


Pictures in the Orange County

カリフォルニア州オレンジ郡で泊まったのは、ハンティントン・ビーチという、サーフィンで有名な街だった。

朝、ダウンタウンにある図書館に向かうため歩いていると、サーフ・スーツを着た若者が、サーフ・ボード片手に自転車でビーチに向かう姿を、よく見かけた。

ダウンタウン周辺に住む人は、ほとんどが白人だったし、家の前にある車も、それなりの値段がするものが多かった。

つまり、全般的に富裕層が暮らしているはずなのだけれども。

豪邸と呼べるようなものよりは、平屋建てを含め、質素な家屋が多かったように思う。

その理由が、サーファー達が質素な生活を求めているからなのかは、残念ながら分からなかったのだけれども。

夕方、図書館からホテルへの帰り道、家々の窓などを通して、住民の生活を垣間見ることが、ささやかや楽しみであった。



アメリカでは、多くの住居地域でセキュリティ会社が警備を行っている。

つまり、部外者はその地域に、無断で入ることすら出来ない。

まさに、「安全はお金で買う」

そのような概念を求めてしまう人々の気持ちが、分からない訳ではないのだけれども。

これが、正しい街のあり方だとは、どうしても思えない。



ハンティントン・ビーチにも、そのような地域もあるのだろうけれども。

自転車でビーチに通うサーファー達に、そんな街はやっぱり似合わない。

質素な街にある図書館は、教会のように質素な建物だった。

その平屋の図書館には窓が沢山ついていて、日がたくさん差し込む。

一日中屋内にいると、時間帯によっては眩しくて、椅子の位置を頻繁に変える必要があったのだけれども。

不便だからこそ、気が付ける感覚もきっとあるはずで。

そういう感覚は、きっとお金では買えないのだと思う。

Sunday 12 December 2010

地に足


@ Orange County (California)

フロリダでは一月の間、アジア料理を食べられなかった。

その反動で、カリフォルニアに来てからは毎日、タイ料理を食べていた。

特段、タイ料理のファンだった訳ではないのだけれども、たまたま街に沢山のレストランがあった。

どのお店も、安価でおいしい料理を提供してくれたので、本当にありがたかったのだけれども。

従業員の多くは移民であるため、時として、彼らの「必死さ」を見るのが、少しだけ辛いときもあった。

一週間、毎晩タイ料理を食べ続けたので、フロリダで感じていたアジア料理への飢餓感は、さすがに無くなった。

だから、最後の夜は、以前から気になっていた、オーガニック・マーケットに併設したレストランで食べることにした。

料理は質素なものだったけれども、そこで働く店員さんは、肩の力がよい具合に抜けていて、何だか居心地がよかった。

http://www.mothersmarket.com/

Saturday 11 December 2010

needle


@ Orange County (California)

別に、変な意味で興奮していた訳ではないのだけれど。

ホテルに帰ってズボンを脱ごうとしたら、不意に力が入ってしまい、ボタンが吹っ飛んでしまった。

持ってきた唯一のカジュアルなズボンだったので、ボタンを付ける必要性が生じた。

こんなことが起こるとは、予想だにしていなかったので、針も糸も無い。

ホテルのフロントに、「貸してくれないか」と頼むと、「ない」と言われた。

「いや、絶対嘘でしょ!」

と突っ込もうかと思ったけど、面倒だったのでやめた。

だって、ホテルに針と糸が無くて、どうするんですか?



「真面目な」ズボンを履いて、近所のドラッグ・ストアーへ。

店中探してみたのだけれども、見当たらない。

店内をふらふらしていたら、若い男の店員が、

「何か探し物?」

と声をかけてくれた。

両耳に、5cm程の大きなピアスの穴が開いているその兄ちゃんに、

「針ってないかな?」

と聞いた。




「針。・・・縫うための?」



「いやいや、縫うための「針」以外、他に何があるんですか!」

と、突っ込もうかと思ったほど。

分かりますかね?この面白さ。

鍵は、彼の2秒くらいの「・・・」ですよ。

これが、普通のおばちゃんとかとのやり取りだったら、何の面白さもないのですが。

つくづく、人間って偏見を持ってしまうものだなぁ、と実感。

因みに、そのピアス兄ちゃんのお陰で、「針」と糸は見つかり、晴れてボタンは付きました。

Friday 10 December 2010

子孝行


@ Orange County (California)

オレンジ郡の空港からホテルまでは、タクシーを使った。

英語をあまり喋れない、東アジア系の運転手だったので、

「どこから来たの?台湾?それとも中国?」

と聞くと、

「韓国から」

5年前に移住してきた、という彼に、その理由を聞いた。「子供のため?」と。

「そう」

ホテルに着いたとき、料金メーターは33ドルだった。

釣りとチップのやりとりが面倒だったこともあり、20ドル札を2枚渡して、

「お釣りはいいから」

そう伝えると、彼は、

「いつ帰るんだ?その時は電話してくれ」

と言い、名詞を渡された。



「アメリカへの移住」といっても、色々な街があり、一概には言えないのだろうけれども。

一月生活してみて、この国が全体的に正しい方向に向いているようには、どうしても思えない。

自分の子供は、英語を流暢に使えて、高いレベルの教育を受けて欲しい。

その韓国人お父さんの気持ちは、物凄く分かるけれども。

タクシー・ドライバーとして、ただひたすら子供の教育のために必死に働くことが、果たして本当にその子供のためになるのだろうか、という疑問は拭えない。


ナイーブで、モラトリアム真っ只中の僕には、

「幸せそうな両親の姿を見せることが、子供にとって一番の幸せなのではないか」

なんて思ってしまう。

別に、そのお父さんが不幸せそうだった、という訳ではないのだけれども。

実際のところ、どうなんですかね。

Thursday 9 December 2010

snob


@ Orange County (California)

人間というものは、つくづく傲慢な生き物らしく。

こんな素晴らしい夕日を見ても、「フロリダのほうが綺麗だったなぁ」なんて思ってしまう自分がいる。

けれども、仮に今後、フロリダに住むことがあったとして。

あの夕日が「日常」になったとしたら、今度はきっと、日々の感動が薄まってしまうのだと思う。




気さくな人が多かったフロリダに比べて、この地の人が少し 'snobbish' に思えてしまうのだけれども。

それも、「夕日」と一緒で、色々な街を比較出来るからで。

仮に今後、この地に住むことがあったとしたら。

久しぶりに会った友人などから、「あいつ、カリフォルニアで(ますます) 'snobbish' になったよなぁ~」なんてことを、陰で言われてしまうのだろうか。

Wednesday 8 December 2010

Jesus


Pictures in Orlando

世の中で、ワニほどおっかない動物は、いないと思う。

実際には、虎やライオンなんかのほうが、よっぽど怖いのかもしれないけれども。

なんてったって、ワニのビジュアルの恐ろしさといったら、無い。

ポロシャツで有名な、あのフランスのブランドは、よく「ワニ」なんかで成功したもんだ、と思う。



オーランド市職員のVicは、ポーランド系アメリカ人である。

これまでに対応してくれた人々と特段変わらず、真摯に対応してもらったのだけれども。

特段、話が盛り上がったわけでもなく、特段、気まずい雰囲気に陥ったわけでもなかった。

ふと、「週末はどうしてるんだ?」と聞かれた。

土日も変わらず図書館に行く予定であったが、他にこれといった予定が無い旨を伝えた。

「じゃぁ、うちに来ないか?」

特段、断る理由は無かった。



5人も子供がいる。

そう聞いていたので、予想はしていたのだけれども、Vicの家族は敬虔なクリスチャンだった。

食事の前に、お祈りがある。

仏教徒の僕も、最後に「アーメン」と言うべきなのか、よく分からなかった。

敬虔なクリスチャンだからといって、特に困るわけではないのだけれども。

言葉には気を付けなくちゃ、と常に念じていた。

数あるスラングの中で、一番危険なのは、間違いなく「ジーザス」だった。

'Jesus Christ'、つまり「イエス・キリスト」の英語読みが「ジーザス・クライスト」であり。

いまでは、英語を母語とする多くの人が、日常で「ジーザス」などと叫んでいるが。

人によって、特にキリスト教の熱心な信者の前で言うことが、彼らにとって神への冒瀆に感じる可能性があることぐらいは、僕でも知っていた。

'Don't say Jesus'

Vicの家で、このフレーズを、呪文のように何回も唱えた。



3日後。

Vicに加え、同じく市職員でバイオロジーの専門家Paulに連れられ、別の現場に。

オーランドでは、処理した下水を人工の湿地に一月ほど滞留させて、動植物に浄化してもらうという、非常にユニークな事業を行っている。

その湿地内には、200種以上の鳥や鹿などに加え、あろうことか、ワニまで生息している。

車に乗りながら見た、'alligator'という種類のそのワニくんは、それはそれは恐ろしいビジュアルをしていた。

一通り見学を終えた後、見学者を受け入れる部屋に案内された。

その部屋の中には、いくつかの小さな水槽があり、湿地内にいるいくつかの動物が飼われていた。

そして、あろうことか、ワニまでいた。

おもむろにPaulが、水槽の中にいる、体長30cmほどのそのワニくんを掴み、僕に向かって差し出した。

不意を突かれた僕が、大きな声で叫んだ言葉は、言うまでもない。

'Jesus!!!!!'

Tuesday 7 December 2010

cuisine


@ Orange County (California)

フロリダとカリフォルニアは、温暖な気候であること、海に面していることなどから、人々の気質が似ているという。

「カリフォルニア」といっても、広大な面積を有しているので、一概に言うことは難しいのだろうけれども。

少なくともこの街がフロリダと明らかに違うことは、アジア人が多いことと、黒人が少ないこと。



子供の頃から、「あれをしなさい」と言われると、ほかのことをしたくなる天邪鬼なところがあったので。

フロリダの街を歩くと、明らかにマイノリティである自分が、少し誇らしくもあった。

一つだけ困ったことがあるとすれば、アジア料理のレストランが全くないことだろうか。

セント・ピーターズバーグのダウンタウンで見つけた唯一のアジア料理屋は、タイ料理屋にも関わらず、'SUMO SUSHI'などという看板を掲げていて、とてもじゃないが入ろうとは思えなかった。



オーランドで、黒人に囲まれている生活が心地よくなり始めていたので、少し残念ではあるのだけれども。

この街を歩いていて、タイ料理屋を見つけた瞬間、迷いも無くお店に入った。

一月振りに食べるアジア料理は、少し辛かったけれども、やっぱり美味しかった。



タイ・カレーを食べながら思ったのだけれども。

僕らは単純に、黒人=アフリカン・アメリカンと呼んでいるけれども。

それぞれの人間に、多種多様なバックグラウンドがあるはずで。

仮に、彼らが多くのアジア系アメリカ人のように、奴隷としてではなく、移住者としてこの国に来ていたならば。

アメリカという国は、きっと様々なアフリカ料理を食べられる国になっていただろうな、と。

Monday 6 December 2010

floods of information

@ Orange County (California)

日本にいた頃と違って、毎日テレビを見ている。

興味のある映画がやっていない場合、CNNを見ることが多い。

ホテルに置いてある新聞も、割と読んでいる。


けれども、食の安全に関する法案が上院で可決された、というニュースは、日本からの情報で知った。

つまり、それほど大きな話題には、なっていない。


何でも、一定規模以上の面積を持つ農家は、政府が決めた品種しか栽培できなくなる、とのこと。

日本でもアメリカでも、色々な噂が錯乱しているようだけれども。

この法律が可決されると、現実にどのような影響が出るのかは未知数。

アメリカにおける大手メディアは、冷静に伝えているような気がする。

果たしてこれも、メディア・コントロールのせいなのだろうか。

一つだけ確かなことは、この国の政治は、ロビイストと呼ばれる圧力団体が狂大なパワーを握っている、ということ。


小さい頃、新聞やテレビのニュースが、誤った報道をしていることなんて想像だにしなかったけれども。

真実を知ろうとすれば、多くのツールを使って、自分なりの答えをみつけなければならない。

溢れかえっている情報を、全て把握するのは不可能だから。

限られた時間の中で、果たして自分はどの「真実」を知ろうとするか。

食なのか。環境なのか。はたまたハリウッドのゴシップなのか。

気付いたら、そんな取捨選択の能力を求められる世の中になっていた。

http://www.npr.org/blogs/health/2010/11/30/131695440/senate-passes-historic-food-safety-bill-house-up-next

http://eatocracy.cnn.com/2010/12/01/food-safety-act/?iref=allsearch

http://www.naturalnews.com/030587_Senate_Bill_510_Food_Safety.html

http://ameblo.jp/balance-club-yokosan/entry-10721791035.html

Sunday 5 December 2010

from the bottom of her heart


Pictures in Orlando

オーランドで泊まったホテルは、1泊50ドルにも満たない安宿だった。

周辺の治安が悪いことほど、困ったことはないのだけれども。

ホテルのサービスも、さすがに素晴らしいとは言い難いものであった。


部屋の時計が壊れていて、時間が分からない。

金庫の鍵が閉まらない(つまり、既に金庫じゃない)。

ポットを沸かしても、お湯が50度くらいにしかならない(そのことを知らずに、一度、日清のカップ・ヌードルを作りました)。

ベッドのスプリングが壊れている。

部屋がカビ臭い。


不満をあげればきりが無いのだけれども。

「世界の〇人に1人が、清潔な飲み水にありつけず・・・」

なんてレポートを毎日読んでいるので。

シャワーから綺麗なお湯が出て、テレビと冷蔵庫がちゃんと動くのに、不平不満ばかり言っていたらバチが当たるな、と思うようにはしていた。


ただ、物質面は許せても、ホテルの従業員のサービスも、「何だかなぁ・・・」と思うようなことが沢山あった。

こちらで知り合った人に、少し愚痴めいたことを言ったら、

「彼らは、良いサービス、というものを知らないで育ったんだから、しょうがない」

との返答。

うん、確かにそうだろうな。


ところが、そんな従業員の中に一人だけ、いつも物凄く素敵な笑顔で挨拶をしてくれる黒人のおばちゃんがいた。

こんな地区にあるホテルのハウス・キーパーをするくらいなのだから、決して裕福な生活を送ってはいないはず。

けれども、そのおばちゃんの笑顔は、何度見ても本物だった。



ふと、こんな想像をしてみる。

自分が黒人女性に生まれて、お世辞にも社会的地位が高いとは言えない職業に就いて、見知らぬアジア人の客に、心の底から笑顔を投げ掛けられるだろうか、と。

はっきりと、分かる。

いまの僕には、出来ない。



以前と比べて、少しは頭の中の整理が出来るようになったからといって、分かったような振りをするもんじゃない。

僕にそう思わせてくれるほど、彼女の笑顔は素晴らしかった。

Saturday 4 December 2010

トッツィー


Pictures in Orlando

ユダヤ人の特徴の一つに、鼻の大きさがある、という事実を最近になって知った。

確かに、ダスティン・ホフマンの顔を思い浮かべれば、納得させられる。

彼の代表作の一つに、「トッツィー」という映画があり。

売れない舞台役者がお金に困り、女装してテレビ・ドラマのオーディションを受けたところ採用されてしまい、一躍人気者になる、というコメディーであった。



夜、ホテルの部屋で何気なくテレビを点けた。

何か面白い番組はやっていないだろうか。

そう思いながらチャンネルを回していたら、鼻の大きいおばちゃんが、早口で色々なことをまくし立てている番組があった。

何だか、女装したダスティン・ホフマンに見えなくもない。

ドキュメンタリー映画のような雰囲気があったのだけれども、実際にはテレビ番組だった。

途中からだったのだけれども、30分くらいは見ただろうか。

様々な質問が観衆から投げ掛けられるにも関わらず、そのいずれにも、すぐにウィットに富んだ意見を返していたのが印象に残った。

番組の最後に流れるクレジットに、「監督 マーティン・スコセッシ」とあった。

彼女は、フラン・レボイッツ という名のユダヤ系アメリカ人の作家で、数は少ないが評論や絵本を出しているよう。

日本に帰って少し落ち着いたら、彼女の本を手に取りたいと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=uLceaQuFyQE

Friday 3 December 2010

Go! Go! Florida

@ Orlando (Florida)

そもそも、フロリダに来るつもりなんて、無かった。

最初に出した計画書では、シンガポール、オーストラリアに行った後、カリフォルニアに2月弱滞在する予定だった。

「この計画書では、行かすことは出来ない」

諸事情からそう言われ、やむなく捻り出した結論が、フロリダ行きだった。


おっとりとしたオーストラリアの雰囲気から、「やるか、やられるか」という雰囲気のあるアメリカという国に慣れるまでに、少し時間はかかったけれども。

基本的に、フロリダの人はみな優しかった。

セント・ピーターズバーグでは、のんびりとした雰囲気と、気さくな人々に出会い。

オーランドでは、僕がそれまで抱いていた、アメリカ南部の街の雰囲気を味わうことが出来た。

どちらの街にも言えることは、「観光で来たい」などとは、これまで一回も思ったことの無い場所であったこと。

だからこそ。

そんな場所で、色々なことを感じることが出来たのは、幸せだったと思う。




昨晩、毎日通っていたカフェで働くラティーノのおばちゃんに、

「明日発つんだよ」

と伝えると、

「ほんとに?もう帰ってこないの?寂しくなるねぇ」

と、大げさに騒いでくれて、何だか嬉しかった。

ホテルに戻ってから食べようと思い、ハンバーガーを買って帰ったのだけれども。

帰って袋を開けてみたら、頼んでもいないのにケーキが入っていた。



これから、最後の訪問地・カリフォルニアへ。

良い形で、この旅を終えられたら。

そう思う。

Thursday 2 December 2010

local production for local consumption

@ Orlando (Florida)

野球がシーズン・オフとなったこの時期。

テレビで中継されているスポーツと言えば、ひたすらアメリカン・フットボール。

「フットボール」といえば、「サッカーかラグビー」という固定観念がある僕にとって、テレビで映されている楕円形のボールを使ったそのスポーツは、別世界のものに写る。


アメリカに来て少し驚いたのだけれども。

「外国に行ったことが無い」

という人が、非常に多い。

その理由として、国内が十分に広いこともあるのだろうけれども、文化が国内で完結していることも大きいのではないかなぁ、と感じ始めた。

スポーツに限って言えば、野球、バスケ、アメフト。

彼らにとってそれらのスポーツは、「自分達が当然一番」という認識なので、特段、外国に目を向ける必要もない。

映画や音楽だってそう。

アメリカの「映画好き」を公言する人の大多数は、恐らく「フランソワ・トリュフォー」とか、「フランソワ・オゾン」なんて監督の名前は、聞いたこともない。



別に、外国に行くことが素晴らしいことだなんて思わない。

それに環境学的には、「地産地消」ほど素晴らしいライフ・スタイルは、恐らくない。



けれども。

仮に僕が、サッカーというスポーツに出会っていなければ。

紙吹雪で埋め尽くされた、物凄い雰囲気のスタジアムを作り出す「アルゼンチン」なんて国には、一生興味が沸かなかっただろうし。

オーストラリアで、「ハリー・キーウェルは男前なだけじゃなくて、やっぱりいい選手だよね~」なんて会話も、恐らく出来なかった、とは思う。

Wednesday 1 December 2010

Sunset Park


@ Orlando (Florida)

夜な夜な読んでいたPaul Austerの新刊'Sunset Park'。

日本だと、新刊が出てから文庫化されるまで2~3年掛かってしまうのだけれども。

北米における小説は、半年も待てば廉価なペーパーバック版が売りに出される。

だから、これまでハードカバーの小説なんて、買ったことがなかった。

ところが、11月始めに出版されたその新刊は、舞台が不況に見舞われている南フロリダの都市。

いま滞在しているオーランドはフロリダ中部の都市なのだけれども、2週間前までいたセント・ピーターズバーグは、丁度、南フロリダに位置していた。

何だか、いろいろなタイミングが揃っていたので、読み始めた。


主人公は、読書家で非常に聡明な若者なのだけれども、ある事故をきっかけに大学を辞め、世間と距離を置いた生活をするようになった。家族にも連絡をせず、アメリカ中を転々とするのだけれども、フロリダで出会った若い女性と恋に落ち・・・


世間から自分をかけ離すきっかけとなった経緯の描写が、僕には少し弱いような印象を受けたけれども。

物語の構成は、さすがにうまかった。


読み終わって思ったことは。

僕自身も、この主人公のように、自分の世界を作り上げることが好きなのだけれども。

そうすることによって、世間から隔離された場所に自分を置くことが正しい選択のように思えてしまうときが、たまにある。

世間と距離を置くことで、幸せになれればよいのだろうけれども、ネガティブな感情を一切持たずに、そのような生活を送ることは、きっと物凄く難しい。

けれども、こんな世の中だから。

生活の一部において、世間と一定の距離をとることは、絶対に不可欠。

やっぱり、全てはバランスなのだろうか。