Sunday 30 October 2011

Jun

金曜日の仕事帰り、家の近くでジンギスカンを食していたところ、店内にウーアの歌声が流れ始めた。

ウーアといえば、僕がまだ学生だった2000年頃に、割と人気があった記憶がある。

ウーア、ミーシャ、あれ、あと一人「同じようなの」がいたなぁ・・・



結局、ジンギスカン屋では思い出すことが出来ず、家に帰ってインターネットで検索、ようやく脳のつっかえ棒が取れた。

バード。

そうそう、ウーア、ミーシャ、バード。

全く異なる3人だけれども、僕の中で彼女達は同じカテゴリーに属する。

はて、バードさんは、いまどうしているのかね?

と思いウィキると、

「えっ、あの人と結婚したの・・・」



ついでに「あの人」を検索した。

サッカーの国際大会の一つに「コンフェデレーションズ・カップ」と呼ばれるものがある。

ヨーロッパ、アフリカ、アジア、北中米、南米、それぞれの「大陸」チャンピオンが集まり、「世界王者」を決定する大会である。

本当の「世界王者」を決めるワールド・カップの前年に行われる前哨戦で、商業的な意味合いの強い大会である。

その「コンフェデ」に対する意見を求められた「あの人」は、こちらの期待を裏切らない見事な論説を展開してくれている。

まぁ、そもそも「あの人」に「コンフェデレーションズ・カップ」の予想をさせること自体が「意図的」ですよね。

http://www.1101.com/shimaguni/jun/index.html

Saturday 29 October 2011

red by red


東京で生活していて、「あぁ、いい景色だなぁ」と感じることは多くない。

それは疑いようのない事実であると同時に、都市で生活する上で知らずしらずのうちに身に着けている「意識の遮断」が、追い討ちを掛けていることも、また確かである。

それでも、良く晴れた秋の日に、国立競技場のバックスタンドから望む新宿のビル群は、悪くない光景だと思う。



「1万席限定」の抽選方式で運よく購入できた「ヤマザキナビスコカップ決勝 浦和×鹿島」。

送られてきたチケットは、運悪くバックスタンドとは正反対のメインスタンドだった。

新宿のビル群が見えない代わりに、僕の目の前に広がるのは、赤、赤、赤。

両チームとも赤色がチームカラーであることから、この2チームが対戦するときは、スタジアムがいつも真っ赤に燃え上がる。



試合の中身は、両チームともミスが目立ち、語るに値しないゲームであった。

ただ、「監督の采配」が色濃く試合結果に影響を及ぼした点は、興味深かった。

後半開始早々に山田直輝という攻撃的な選手が退場になったレッズは、前線にFWのエスクデロを残し、守りをガッチリ固める戦いを余儀なくされていた。

それに対し、アントラーズのオリヴェイラ監督は、

遠藤(MF)⇒田代(FW)

アレックス(DF)⇒フェリペ(MF)

と続けざまに交代を行う。


「さぁ、点を取りに行こう」


それは、監督からの明確なメッセージだった。

布陣は、4-3-3。



攻撃的MFのフェリペを左サイドバックに配置してしまうほどの攻撃的な布陣。

ところが、後半修了間際に、センターバックの青木が退場になってしまう。

これだけ攻撃的な布陣を取っていながら、センターバックを欠いてしまったら、世界中のサッカー監督の多くは頭を抱えるだろう。そして、貴重な最後の交代枠は、FWに変えてDFという、あまり乗り気のしないものになってしまう筈だ。

オリヴェイラ監督が出した結論は、こうだった。

小笠原(MF)⇒増田(MF)

「う~む、そうきたか・・・」

メインスタンドの最前列に座る僕はうめいた。


FWを減らす代わりに、攻撃的センスの光る柴崎をサイドバックに据え、サイドバックを努めていた新井場がセンターへ移動。

1人減った中盤は運動量が要求されることから、ベテランの小笠原に変えて、働き盛りの増田を投入。

驚きだったのはDF陣。

フェリペ(攻撃的MF)、中田(守備的MF)、新井場(サイドバック)、柴崎(守備的MF)

4バックの誰しもが、本来の専門職ではないポジションを、何事も無かったかのようにこなしていた。(まぁ、この4バックを崩せないレッズの攻撃陣も不甲斐ないとは思うが・・・)

そして、延長前半の大迫の決勝ゴール。

決勝戦のMVPは、いつもの如く得点者の大迫が選ばれた。

けれども、僕には急造のディフェンス・ラインを涼しい顔をして統率した中田浩二が、この日のMVPに最も相応しい人物のように思えた。



ハーフタイム、大好きなカメラマンの近藤篤さんがスタジアムの中を歩いていたので、「近藤さん!」と最前列から声を掛けたが、歓声にかき消された。

彼は長年、レッズの写真を撮り続けている。

試合終了後、優勝の歓喜に沸くアントラーズの面々を横目に見ながら、カメラ機材を抱えて帰路に着く近藤さんは、心なしかグッタリしているように思えた。

Tuesday 4 October 2011

町内会



診察室のドアを開けると、そこにはいつもスタジオ・ジブリのカレンダーがあった。



実家から歩いて10分ほどのところにある、小さな内科クリニック。

70を優に超えていると思われる医院長先生と、スタジオ・ジブリのイメージがどうしても結びつかなくて、何だかいつもおかしかった。


何故、ジブリのカレンダーを飾っているのかは分からないのだけれども、そのクリニックから歩いて数分のところに、「スタジオ・ジブリ」は居を構えている。

同じ町内だからなのか、コンビニに置いてあるジブリ・グッズなんかと比べて、診察室の壁に掛けてあるカレンダーは、何だか若干誇らしげに見えた。



個人的にジブリ作品の大ファン、という訳ではない。

子供の頃は、数え切れないほど作品を見直していたけれども、いつの頃からか、新作が発表されても、テレビやDVDで見たり見なかったり。

そんな状況だから、ジブリの新作「コクリコ坂から」を見ようと思ったのも、「何となく」であった。

考えてみると、最後にジブリ作品を劇場で見たのが、姉に連れられて行った「魔女の宅急便」。

オー・マイ・グッネス。あれから20年以上経っている。


1960年代の横浜に住む高校生2人を主人公にしたこの作品。

決してドラマ性に富むわけでもなく、ストーリー展開を期待する人は肩透かしを食らうかもしれない。

けれども、「何も起こらない」日常を丁寧に描いているからか、小津安二郎の映画を見たときのような感情が、僕の心に少しだけ溢れ出た。

http://kokurikozaka.jp/

Sunday 2 October 2011

Come on, son. Hit me!



大学2年生の頃、とあるシネマ・コンプレックスのアルバイト採用面接を受けた。

何故そこで働きたいと思ったのか、今となっては理由を全く思い出せない。

思い出せないけれども、そのシネコンの社員と思われるおじさん数名と会話した記憶はある。

数日後、封筒が送られてきて、中には「今回はご縁が無かった」なんて類の通知文と、そのシネコンのフリーチケットが1枚同封されていた。

その時期、特段見たい映画は無かったのだけれども、ガダルカナルにおける日米の戦いを描いた「シン・レッド・ライン」と題するアメリカ映画を、何気なく選んだ。




後で知ることになるのだけれども、監督のテレンス・マリックは1970年代に「地獄の逃避行」「天国の日々」という2作品を発表し、共に大絶賛されながらも、その後20年間、映画を1本も作らなかった、まさに「生ける伝説」のような人物であった。

事前情報を何も得ずに見た「シン・レッド・ライン」は、とにかく上映時間が長く、「まだ終わんないのかなぁ」などと何度も思いながら見ていた。

映画の内容は正直、良く分からなかったのだけれども、映画館の外に出て、この映画のことを振り返ってみると、何か心に引っ掛かるものがあった。

後日、レンタル・ビデオ屋で彼の前2作品を見てみた。

言葉ではうまく表現出来ないが、彼の作品は僕の心を揺さぶった。

いつからか、僕は彼の「信者」となっていた。



ポカホンタスという名のネイティブ・アメリカンと、イギリスの冒険家との間の悲恋を描いた「ニュー・ワールド」に引き続き、監督5作品目「ツリー・オブ・ライフ」で彼が描いたのは、1950年代におけるアメリカの1つの家族の物語であった。

主演はブラッド・ピットとショーン・ペン。

昨年のカンヌ映画際では、最高賞のパルムドール。

信者としては、期待が嫌が応にも高まった。



最高潮に高まった期待は、映画館でくじかれた。

「シン・レッド・ライン」を初めて見たときに感じた、「まだ終わんないかなぁ」という感情以上の物が、僕の心を渦巻いていた。

「何なんだ、この映画は。遂に血迷ったか・・・」

感想を一言で言うならば、「意味が分からない」であった。



信者として、このまま終わるわけにはいかない。

後日、再度映画館に足を運んだ。

何故、「意味が分からない」のか、意味が分かった。

「ツリー・オブ・ライフ」は、極めてユニークな作品だった。

僕らが無意識に求めてしまう、ストーリーの「起承転結」なんていうものは、完全に放り去られていた。

一般的な家族の、ごくありふれた「日常」を描いただけでありながら、家族や生命の繋がりを意識させる「非日常」的な芸術作品であった。


しかし、「ベンジャミン・バトン」で「これでもか」という美男子を演じてみせたブラッド・ピットが、「ツリー・オブ・ライフ」で見せた厳格な父親役とのギャップは、まさしく驚嘆。