Thursday 30 September 2010

deja vu


@Singapore

「あの~、うちの本社に似てるんですが・・・」

と、現地駐在員に聞くと、

「あ、設計者一緒ですよ」

「・・・」

う~ん。

丹下さん、それはまずいでしょ。

Wednesday 29 September 2010

こう見えて、日本人なんです。


@Singapore

デジタルカメラのバッテリーがない、という表示が出たので電気店が沢山入るビルへ。


早速、「どうしたんだ?」と怪しいおっさんが寄ってくる。


電池がほしい旨伝えると、「日本製」だという電池を見せられる。


「いくらですか?」


と聞くと、電卓を叩き、「65ドル」の表示。


「たかっ!」と叫ぶと、下がる下がる。


いつのまにか30ドル。


おいおい、日本製の電池がこんなに下がるのかい、と思いながらパッケージを読むと、訳の分からない日本語が。


「何かこの日本語おかしいし、他の店を回ってきてから戻ってくるよ」


と伝えると、おっさん逆切れ。


「どこの店にいっても同じだ!」


そして、ファイナルプライス、20ドル。


逆切れ親父を振り切り、近くの店へ。


優しそうな店員さんに26ドルの別商品を薦められる。


逆切れ親父が薦めた商品もあったので、「ちなみにこれはいくらなの?」と聞くと、


「これはもっと安いけど、欠陥品だから、みんな26ドルのを買い直しに来る。」


とのこと。


恐るべし、逆切れ親父。


恐るべし、あのパッケージの日本語。

Tuesday 28 September 2010

段差




@Singapore

やってきました、シンガポール。
シンガポール航空を使ったのですが、機内にてJapan Timesを読んでいるのにも関わらず、乗務員さんから日本語で話しかけられる。
「あれ、意外と日本人?」
と思い知る。
空港からのタクシー内で、マレー系の運転手さんと世間話。
少し打ち解けた後に、「やっぱり差別ってあるんですか?」とデリケートな質問をしたら、「物凄くある」とのこと。やっぱりね。
ホテルに着いたら19時を過ぎていたので、屋台を探しに外へ。
空港からの景色は、高層マンションばかりが目に入って、超近代都市だと感じたのだけれども、街中を歩くと、様々な人種やぼろぼろの建物などから、やはりここがアジアであることを思い知る。
しかし、以前旅した台湾でも感じたのだけれども、公道(まさか私道?)に段差があるのはどうにかならないのですかね?しっかりしろ、シンガポール政府。

夕飯は屋台で、Xiao Wan Mianという名の焼きそばとスープ。
屋台のおじちゃん、おばちゃん達は、ほとんど英語を喋れないけれども、素敵な笑顔を投げかけてくれた。

カメラの功罪

その割りには、大しておしゃれじゃないよね。

と言われてしまえばその通りなのだけれど、学生時代、よく雑誌「装苑」を読んでいた。

なぜ男性誌を読まないの、とたまに聞かれたのだけれども、直接的に商品で読者に訴えかけてくるファッション誌を読むよりも、自分の感性を磨くことの出来る雑誌を読む方が大事なのではないだろうか。
当時持っていた感覚は、いまでも変わらない。

その「装苑」に、KIKIさんというモデルがたまに出ていた。

その魔女のようにエキゾチックな名前と、ミステリアスな風貌が当時から少し気になっていた。

けれども、彼女の本当の魅力は、名前ではなく、はたまたビジュアルでもなく、その知性と感性にあることを知ったのは、たまたま本屋で手に取った「Love Architecture」という本を読んだからであった。

ムサビ建築科出身の彼女が、国内外を問わず、自らの好みの建物・ランドスケープについて記したこの本は、文章と写真があまりに魅力的で、以来、頻繁に友人に勧めたり、貸したりしている。

一般的に、日本の建築本は、英語をそのままカタカナにしただけの横文字を無闇に並べたものが多い。「そのマテリアルはコンテンポラリーで・・・」なんて文章を読んでも、分かったようで分からない。

その点、この「Love~」は専門用語や横文字を極力控えていて、僕のような素人にも分かりやすい。
文章を読んでみて、非常に頭の良い人なのだな、と感じたのを覚えている。

それ以来、彼女が記すブログなんかもチェックするようになった。



自分のブログを読み返してみると、自らの内面と向き合っているものが多い。

それは勿論、性格的なこともあるだろうが、カメラを持ち歩かない、という習性も影響しているように思う。

写真を見ること自体は好きで、お気に入りの写真家も何人かいるくらいなのだが、日常の風景・出来事を写真に収める、という習慣がない。

それは、カメラを持ち歩いていると、それが良い写真になるかどうか、はたまた構図的にはどうなんだろうか。そんなことを考え始めてしまうのではないか、という怖れのようなものが僕の中にあるからだと思う。

その感覚は、実は「装苑」を読んでいた理由と似ていて、写真という物質を残すことよりも、カメラに収まりきらない感覚を心に蓄積したい。そんな気持ちが、自分の中にあるように感じる。


そんな感覚を持ちながらKIKIさんのブログを開くと、色鮮やかな日常及び旅先での風景を切り取った、素敵な写真が多く貼ってある。そして、写真を撮る、ということの魅力を感じさせてくれる。

やっぱり、答えはない。

http://blog.honeyee.com/kiki/



ご存知の方も多いと思いますが、今日から3ヶ月間、旅に出ます。

何年かぶりで手に取ったデジタルカメラと共に、僕にとって非日常の生活を、ブログという媒体に残せたらと思います。

Friday 24 September 2010

I love Travis, but not the 'Taxi Driver'

ずいぶん前から、スコットランドのTravisというバンドが好きである。

物凄くメランコリックなサウンドであるため、好き嫌いがはっきり分かれるのではないかなぁと思う。

かくいう僕自身も、彼らの音楽を3日くらい続けて聞いていると飽きる。本当に飽きる。

どのくらい飽きるかっていうと、反動でLinkin Parkなんかを聞かざるをえなくなる。

けれども、3週間くらい離れていると、不思議とまた聞きたくなる。そして、聞き過ぎて飽きる。その繰り返し。

ボーカルのFran Healyが、初のソロアルバムを出すらしい。その中の一曲で、Sir Paul McCartneyとコラボレーションしたらしい。

恐らく今回のアルバムも、3日間聞き続ける。

そして、飽きる。

http://music-mix.ew.com/2010/08/30/paul-mccartney-fran-healy-travis-song-as-it-come/

Wednesday 15 September 2010

美学

仕事が早く終わったので、さほど混んでいない総武線に乗り、家に向かっていた。

途中、80歳前後と思われる女性が大きい荷物を抱えて乗車してきて、僕の隣に立ち、席を仕切る手すりに掴まった。

「誰か席を譲るだろう」と思っていたのだけれども、一向に立ち上がる人がいない。

もちろん僕だって、本当に疲れていたり、眠かったりするときは、席を譲れなかったりする。

けれども、その女性の前に座っている乗客、特に目の前に座っている中年男性は、東京スポーツの下世話な記事を熱心に読んでおり、疲れているようにも、席を譲れないほど身体に障害があるようにも、とてもじゃないが見えなかった。

そんな状況に、僕はいらいらし始めた。

その男性に、「席を譲られたらどうですか?」と言おうかとも思ったが、果たして、そのような行動を僕が取ることは、その老女が望んでいることだろうか、と考え逡巡してしまった。




先日、大学時代の友人たちと飲んでいたときのこと。

職場でいつも頭にくる同僚に対して、どうやって感情をコントロールするか。そんな話題になった。

「お金を貰って組織で働いている以上、気に入らない人間がいるのはしょうがない、と理解すること。その人間を反面教師にすること。それと、「あなたとは人間としてのレベルが違う」と気持ちを強く持つこと。」

僕は率直にそう答えた。

職業柄なのか、はたまた日本の文化だからなのか。本当のところはよく分からないのだけれども、今の職場で働いていて、「こうなったらお終いだ」と思うことが、よくある。

そのような人間が形成される原因を、組織のせいにすることは、割と簡単だ。

けれども、ある時に気がついた。

「組織を理由にしたら、「僕もいつかこうなる」と思ってしまう。やはり、原因は組織ではなく、個人の資質だ」と。

そんな話を友人にしたら、「イチローが、お前と似たようなことを言っていた」と教えてくれた。

http://www.nikkei.com/sports/column/article/g=96958A88889DE3E1E4E4E7EBE0E2E0EBE2EAE0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E3E3E0E0E2E2EBE0E5E6E5

イチローのことは昔から好きだったのだけれども、最近、彼の発する言葉が、自分の中でしっくりくることがよくある。

きっと、彼自身の「美学」を追求する姿に、自分を重ねているのだと思う。




さて、隣のおばあさんの話。

2駅を過ぎても誰も立ち上がらないので、僕はおばあさんに声を掛けた。

「大丈夫ですか?」

そう尋ねると、その女性は物凄く恐縮して、「大丈夫です。ありがとうございます」と頭を下げられた。

そのやり取りに気が付いたのか、一人の女性がようやく席を譲った。

「遅いよ・・・」

心の中でつぶやいた。


やっぱり、東京スポーツは、読みたくない。

Saturday 11 September 2010

随分長いこと、恐らく学生時代から、「AXIS」という隔月発売の雑誌をチェックしている。

雑誌の割には安くない値段であること、ゆっくり読む時間がなかなか取れないことなどから、毎号購入しているわけではないのだけれども、本屋に新しい号が並ぶたびに、果たして今回は買うか否かを随分迷う。

職人の作る伝統工芸品などから、僕の専門分野である土木まで、ものづくりという幅広いフィールドにおける「デザイン」を扱うこの雑誌に、僕が惹かれる理由は何であろうか。


20歳くらいの頃から、「果たして自分は何がしたいのか、何が向いているのか」ということを、随分悩み続けた。

左右の脳の機能を説明するときのように、自分の中に、左右に広がるx軸のようなものがあるとしたら、僕のその悩みは、その左右の軸を激しく行ったり来たりしていたように思う。

それは恐らく、学者である父親(極左)と、芸術家肌の母親(極右)との間で、「果たして自分は、どちらに似ているのか」という悩みであったようにも思う。


随分悩み続けた結果、自分自身でも信じられないような堅い職業に、今は就いている。


そのこと自体に後悔は無いのだけれども、休みの日に美術や映画、「AXIS」のような雑誌を人並み以上に求めてしまうのは、きっと現在の職業と無関係ではない。

自分の中にあるx軸のバランスを取っているのだと思う。


学者にも、芸術家にもなり切れない自分自身を、歯痒く思うことはよくある。


けれども、工学の専門書を読むことと、ウディ・アレンの恋愛映画を観ることを、同じくらい楽しめる
今の自分は、いい具合にバランスが取れてきたのかなぁ、なんて思ったりもする。

http://www.axisinc.co.jp/publishing/

Monday 6 September 2010

we're not giving anything

バンクーバーにいた頃、雰囲気のあるカフェやショップが多いメイン・ストリートという通りにある古本屋で、この本を初めて手にした。

インパクトのある装丁なので、それ以前にも表紙は見たことがあったのだけれども、何となく気になって、その絵本を開いた。

洋書と言っても、小学校低学年ならば簡単に読めるような英文なので、3分ほどで読み終わったように思う。

けれども、読み始めてすぐに、これが物凄く深い物語であることは容易に分かった。

簡単に言うならば、衝撃であった。

レジに向かい、店員さんにこの作者はどういう人なのかを尋ねた。

ベトナム戦争の帰還兵で、トム・ウェイツの歌詞を書いたりもしていて、とても知的な人だ。

確か、そんなことを教えてくれたと思う。


先日、新聞を何気なく眺めていたら、書籍の広告欄に、この本の表紙を見かけた。

'The Giving Tree'(邦題・大きな木)

そして、訳者に村上春樹とあった。


30ページに満たない絵本を、わざわざ彼が訳さなくとも良い、とは思う。

それに、あの程度の英文ならば、原書でも大抵の人は理解できるとも思う。

けれども、彼が訳すことによって、多くの日本人がこの本を手に取るのであれば、それはそれで悪くないような気がした。

本屋に立ち寄り、訳者による後書きを読む。

「この本は、人生で何度も何度も読み直してください」

そんなことが書いてあった。

http://www.shelsilverstein.com/indexSite.html