Thursday 9 June 2011

a depth of a man

人間の本質や本性は、いくら他人や本人が分かったつもりになっていても、本当のところは分からないものではないだろうか。

予期せぬ困難に出会ったとき、自分ではよく知っていると思っていた相手が、思いがけない行動に出る、なんてことは十分に起こり得る。

だから、人間の本当の「器」なんてものは、なかなか推し量ることが出来ない。

けれども、他人からどう言われようとも、自分の頭で考え、自分のキャパシティーを広げようとしている人間に対して、僕は親近感を持つし、僕自身もそんな人間でありたいと思っている。



ブラジル、ベルギー、セルビア、アメリカ。

年収や安定には見向きもせず、「ここではないどこか」を探して彷徨い続ける彼の情報を目にするたび、何とも表現し難い感情が、僕の心をうずいた。

ひょっとして彼は、「死に場所」をさがしているんじゃないか。

いつの頃からか、僕はそう思うようになった。

そして彼は、「死に場所」として、故郷のクラブ・チームを選んだ。



35歳になった彼の顔には、自分の頭で考え、行動してきた深みが出てきたように思えてならない。

たとえ、僕が彼の本質を知ることは出来ずとも。

http://number.bunshun.jp/articles/-/12503

http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=756

No comments:

Post a Comment