Monday 19 December 2011
hang up his boots
また一人、憧れの選手がスパイクを脱ぐ。
宮本恒靖が、現役引退を表明した。
「まだ出来るのではないか」という思いもあるけれど、彼も来年2月で35歳。
決して、早まった決断ではないはず。
彼のプレーを初めて見たのは、97年のワールド・ユースだったか。
「こんなにかっこいい選手がいるのか!」
と、思ったことを覚えている。
「努力の人」だった。
会社員をしながら、弁護士を目指して家で夜遅くまで勉強している父と、英語教師の母に育てられ、「大学は行って当たり前」の家庭で育った。
大阪府立の進学校に通いながら、ガンバ大阪のユースチームでプレー。
勉強タイムは、練習場から家までの夜遅い電車の中。
「ヴェルディ川崎に入り、慶應大学に通う」か、「ガンバ大阪のトップチームに昇格し、同志社大学に通うか」を悩み、後者を選んだ。
英語教師の母から教わったという英語は堪能。
大学時代は第二外国語としてフランス語を、オーストリアのクラブに在籍中はドイツ語を熱心に学んだ。
ディフェンダーに要求される背丈、スピードのハンディをカバーしたのも、その「知性」だった。
決して「サッカーの天才」では無かったが、自分の能力を極限まで高めることに関しては、「天才」であった。
印象に残っているプレーは、やはり代表でのものか。
2002年、鼻骨骨折しながら黒のフェース・ガードを着けてプレーした「バットマン」。
2004年、アジアカップにおいて、ゴール前のグランド条件が最悪であることから、PKのゴールサイドを変えるよう、審判に英語で抗議した場面。
2006年、崩壊しているチームをなんとか立て直そうとしていた、苦悩のキャプテン・・・
所属クラブで出場機会が減少していたことから、引退の日がそう遠くないことは予感できた。
願わくば、「サッカー界に恩返しがしたい」などと引退会見で語りながら、テレビタレントのような仕事をしている元Jリーガーの真似をするのではなく、語学力・知性を活かしてイングランド、フランス、ドイツあたりで指導者としての勉強をしてきて欲しい。
彼のキャリア晩年のプレーを目にするたび、そんなことを思っていた。
引退会見を聞いて、安心した。
ヨーロッパに渡り、FIFAマスターというサッカーに関する修士号の取得、ヨーロッパで指導者ライセンスの取得を目指すという。
さすが恒様!
そう、あなたには「努力」が良く似合う。
お疲れ様でした。
http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00130138.html
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