Monday 9 August 2010

普通でいいです

随分前から、日本語の「普通」という言葉が気になっている。

普段、何気なく使ってしまうこの言葉。

学生時代にカフェでアルバイトをしていた頃、「サイズはいかがなさいますか?」と問いかけると、

「あぁ~、普通でいい」

と返され、対応に困ってしまったことは一度や二度ではなかった(そのような返答をする人は、何故か中年の男性が圧倒的に多い)。

まぁ、ドリンクのサイズ程度の話なら、「ショートから〇〇までございましてですねぇ・・・」などと説明すれば片はつくのだろうけれども、例えば美容師さんがお客さんに「普通でいいです」なんて言われたら大変だろうなぁ、と思う。

一般的に、「普通」という言葉には若干マイナスの要素が含まれていることが多いような気がする。

けれども、歳を取るにつれて、「普通」であることが心地良いというか、自然であることが多くなった。

例えば洋服に関しては、20歳前後の頃は、「いかにして他の人と違いを見せるか」なんてことを少なからず思っていたのだけれども、もうこの歳になると、着心地が良くて自分らしくいれる「普通」さを何より求めるようになってきた。

中村好文という建築家の作品集「普通の住宅、普通の別荘」を読んでいたら、丁度同じようなことを記した文章があり、大いに納得させられた。

「私が潜在的に目指していたものは、人々が目を見張り、誰もが話題にせずにはいられない「特別なもの」ではなく、気張りもしないし、気取りもしない。背伸びもしないし、萎縮もしない。無理もしないし、無駄もしない。それでいてまっすぐに背筋の通った「普通のもの」でした。そして、用を満たすという観点や、美しさという視点からも、過不足なくほどよくバランスの取れた「ちょうどいいもの」でした。」

言葉で書くのは簡単だけれども、こんなスタイルを目指すことは生半可ではないはず。

しかも彼は「建築家」という、「自己主張」をする必然性のある職業であるので尚更である。

そんな彼の作品集を、時間をかけてゆっくり眺めている。

この住宅に住む人は、この部屋でどんな生活を送っていてるのだろうか。

本を手に取りながら勝手に空想をする。

そうしてみて初めて気付くのだけれども、彼の「普通」は、どこか心地よい。

http://www.toto.co.jp/company/press/2010/05/25.htm

No comments:

Post a Comment