Monday 11 October 2010

prejudice

@Adelaide (Australia)


地方の中規模な都市、ということが大きいのだろうけれども。


ここは思ったより白人社会。


中国とか韓国からの留学生が凄く多くて、図書館に行くとその割合に
驚くのだけれども、異人種が交流している、という光景はそれほど見ない。


街に到着してすぐに、「あ、これは少しまずいぞ」と感じた。


マイノリティの少なさ、にではなくて、人種ごとにグループが完全に分かれている雰囲気に。




図書館のロビーでパソコンを使っていたら、隣に若者が来た。


目が合ったので簡単に挨拶した。


ネイティブでないことはすぐに分かったのと、その顔の濃さから判断して、

「どっから来たの?中南米?」


と聞くと、


「イランだよ」


イラン!
なんてミステリアスな国。


母国の大学で機械工学を専攻したけれども、政府があんな状況だから、こっちで
大学に入りなおして職を得たい。


まだ日本にいたときに、西洋の音楽を演奏することを切望するイランの若者を
描いた映画「ペルシャ猫を誰もしらない」を観たばかりだったので、物凄くリアルだった。

彼とは10分くらいしか話をしなかったけれども、今後の幸運を祈りたい。



アデレードの街は、僕にとって凄く排他的に写る。

けれども、果たして東京はどうなんだろう、と考える。

海外から来た人にとっては、物凄く孤独感を覚えるのかもしれない。

日本に生まれ育っても、在日コリアンや中華人の目には、いまの僕のような
光景が広がっていたとしても、何ら不思議ではない。


誰の心の中にもある差別や偏見。

その複雑に絡み合った感情を紐解いてくれるものがあるのだとしたら、それも
やっぱり「人」だと思う。

カフェに入って、何気なく目が合った客と'Hey'と挨拶したり。

ショップに入り、感じの良い店員が「調子はどうだい」と素敵な笑顔で声を掛けてくれたり。

いまさっきも、図書館のロビーでPCをいじっていたら、自由な雰囲気を持った若者と
目が合ったので挨拶した。

凝り固まった自分の頭を、やわらかくしてくれるのは、メディアではなくて、人。

そう思う。

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