@ Berkeley (California)
3ヵ月続いた旅が、終わろうとしている。
振り返ってみると、観光らしい観光といえば、シンガポールでマーライオンを見たこと。シドニーのマンレーというビーチを訪れたこと。サクラメントで州庁舎を見学したこと。そしていくつかの街で美術館に行ったこと。それくらいしか思い浮かばない。
ホテル、図書館、カフェ・レストランの往復。
たまに、中古のCD屋、本屋、古着屋、映画館なんかが加わったりしたけれども。
生活は、いたって単調だった。
旅の目的の種類に、「そこに行くこと」と「そこで生活すること」の2つがあるとしたら、僕にとってこの3ヶ月は、間違いなく後者だった。
今から7年前、大学院を修了した僕は、卒業旅行として3週間ほど、フランスとスペインを放浪した。
当時、僕には人生における2つの夢があった。
それは、「パリに行く」ことと、「バルセロナでサッカーを見る」こと。
なぜ、そんな夢を抱いていたのか。明確な理由は思い出せないのだけれども。
ともかく、その「夢」を叶えるために、24歳の僕は一人、ヨーロッパに向かった
パリにいる間、観光地と呼ばれる場所は一通り訪れた。
ルーブル、オルセー、ピカソ美術館、凱旋門、エッフェル塔、オペラ座。
一週間後、パリから高速鉄道TGVの夜行列車に乗り、早朝のバルセロナに辿り着いた。
その日の夜、「カンプ・ノウ」というスタジアムに向かい、FCバルセロナの試合を観戦した。
10万人近い観客が埋め尽くしたスタジアムの中で、世界最高峰のプレーを間近で見ながら、僕は鳥肌がたっていた。そして同時に、こんなことを思っていた。
『パリに行けたうえに、いまはバルセロナでサッカーを見ている。パリに行きたくとも、一生来れない人は世の中に沢山いる。仮にいま、空から爆弾が降ってきて命を落としたとしても、「僕の24年間は幸せでした」と、思えるのではないだろうか』
と。
当然のことながら、その日、バルセロナの空から爆弾は降ってこなかった。
そして、「いま死んでもいいですか?」と問われれば、間違いなく「ノー」と答える。
けれども。
ひょっとして、あのバルセロナのスタジアムでそんなことを思っていたときが、僕にとって「そこに行くこと」を目的とする旅が終わった瞬間であったのかもしれない。
この3ヶ月、様々な人と出会い、そして別れた。
一度しか会話をしなかった人。
メール・アドレスすら交換しなかった人。
街角ですれ違うときに、挨拶をしただけの人。
そんな人たちとの出会いですら、いまの僕にとっては、大事なものだった。
7年前の旅を、いま思い出しているように。
この先、この旅を振り返って、どのような思いに浸るのかは想像が付かないけれども。
幸せな3ヶ月であったという事実は、この先も変わることはないと思う。
水曜日にあったヒアリングの後、その内容を報告書にまとめたら、何だか「やり切った感」が沸いてきた。もう、次の訪問地の準備もしなくていい。この3ヶ月で、初めての感覚だった。
木曜日。
残された1日をどう過ごそうか考えたけれども。
大学の前にある小さな本屋が、前からずっと気になっていたので、行くことにした。
店内でゆっくり本をぱらぱら眺めていたら、ふと、絵本が欲しくなった。
「東京から来たので、アメリカの絵本に関して何も知らないのだけれども、何かお勧めの本はないですか?」
店員さんにそう訊くと、彼自身のお勧めを何冊か教えてくれた。
「このお店の絵本担当は、かなり厳選しているから、ゆっくり手にとって、気に入った物を選べばいいと思うよ」
とも。
気に入った題名をメモし、日本に帰った後、アマゾンで注文する。
そんな野暮なアイディアは浮かばなかったし、値段がいくらになっても構わなかった(重量だけは気にしたけど)。
「一生、手元に残しておきたいような絵本」、と思って選んでいたら、計5冊、100ドル近くになった。
お気に入りのカフェに行き、普段は座らなかったソファーを選び、本を一冊ずつ、ゆっくり読んだ。
その午後のひと時は、この3ヶ月で一番贅沢な時間だった。
旅の間、日本の国内外を問わず、多くの人に支えられました。
どうもありがとう。
東京に、帰ります。
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